アートとテクノロジーの境界線が曖昧となっていく。
全ては、テクノロジーとなり、全ては、アートであった時のみ、生き残っていく。
情報社会とは、何だろう? 世界がネットワークに覆われ、デジタル領域が全ての領域を革新させていく時代だ。では、デジタル領域とは、何か? 情報が、媒介する物理的な物質から、開放された領域のことだ。もともと人間にとっては、全ては情報でしかなかったのだ。しかし、デジタル以前は、アートにしてもテクノロジーにしても、情報を媒介するために、物理的な物質が必要であった。
媒介する物理的な物質が、例えば、アートとテクノロジーをも分断していたのだ。けれども、物理的な物質から開放されれば、それは、情報でしかなく、そこに、境界線などない。
デジタル領域は、それまでテクノロジーと無関係だった概念を、テクノロジーと境界線のないものとし、そして、テクノロジーと無関係だった概念は、テクノロジーによって革新される。つまり、全ては、テクノロジーといわれる領域となっていくのだ。
情報社会は、別の変化も起こす。言語化・論理化できる領域は、共有スピードが速すぎて、差異が生まれにくくなっていく。テクノロジーは、論理化でき、言語化できるので、テクノロジーの格差は、なくなっていく。
言語や論理では再現するのには不十分な領域、つまり、文化依存度の高い領域――例えば『カッコイイ、カワイイ、キモチイイ、オモロイ』というような領域は、創る方法論が、共有されにくい。そういう領域にのみ、優位性が生まれていく。
文化は、長い歴史の中で、非言語に、そして、無自覚に、連続しながら、新たなものを生んでいく。連続した中で生まれる文化依存度の高い領域をテクノロジーで構築したようなもの、そのようなもののみが、産業となっていくのだ。
全ては、アウトプットが、もしくは存在そのものが、アートであった時のみ、生き残っていく。