Every Wall is a Door | teamLab / チームラボ

メイン画像
Every Wall is a Door
2021.5.20(木) - 終了日未定フロリダ, マイアミ, Superblue Miami

Group Exhibition

ジェームズ・タレル、チームラボ、エス・デブリンによる
マイアミの新体験型アートセンター「Superblue Miami」オープニング・グループ展
メイン画像
Every Wall is a Door
2021.5.20(木) - 終了日未定フロリダ, マイアミ, Superblue Miami

Group Exhibition

ジェームズ・タレル、チームラボ、エス・デブリンによる
マイアミの新体験型アートセンター「Superblue Miami」オープニング・グループ展

Every Wall is a Door

アート集団チームラボは、ジェームズ・タレル、エス・デブリンと共に、フロリダ州マイアミの新たな体験型アートセンター「Superblue Miami」のオープニングを飾る。

Superblue Miamiは、ペース・ギャラリーによる新アート事業「Superblue」が展開するアートセンター。そのオープニング・グループ展「Every Wall is a Door」では、チームラボの複数の作品による質量と境界の無い世界、ジェームズ・タレルの光を用いた没入的な代表作《Ganzfeld》、そしてエス・デブリンによる新しい没入型の空間作品といった、大規模で没入感が特徴的な体験型アート作品が、2021年春から長期的に展示される。

teamLab: Between Life and Non-Life
本グループ展においてチームラボは、独自の展示コンセプト「teamLab: Between Life and Non-Life」(意:生命と非生命の間)のもと、複数の作品を展示。生命と非生命の間の曖昧さ、人と自然の関係性を問う。

アーティスト、プログラマー、エンジニア、CGアニメーター、数学者、建築家などで構成された学際的集団チームラボは、その集団的創造によって、認知の境界を超え、時間の連続性を示し、自分と世界の新たな関係性を模索している。本展の多くの作品は、人々のふるまいの影響を受けながら永遠に変化し続け、今この瞬間の絵は二度と見ることができない。このアプローチは、鑑賞者と鑑賞者同士の関係性を作品に不可欠な要素として投げかけ、鑑賞者の集団的な存在を創造のポジティブな手段として肯定し、様々なパーツが影響し合いひとつの世界となる自然そのものを比喩している。

ー Superblue

teamLab: Between Life and Non-Life

質量のない雲、彫刻と生命の間 / Massless Clouds Between Sculpture and Life

生命とは、エネルギーの秩序なのだ。
作品空間に、生命と同じように、エネルギーの秩序を創った。そうすると、巨大な白い塊が生まれ、浮き上がる。

この巨大な白い塊である彫刻は、質量の概念を超越し、地面に沈むこともなく、天井まで上がりきることもなく、空間の中ほどを漂う。この浮遊する彫刻の存在の輪郭は曖昧で、千切れて小さくなったり、くっついて大きくなったりする。そして、人々はこの彫刻に身体ごと没入でき、人々によって壊されても、生命と同じように自ら修復する。しかし、生命がそうであるように、塊は、自ら修復できる範囲を超えて破壊された時、修復が追いつかず崩れていく。そして、人々が押したり、横にのけようとしても、塊を動かすことができないし、人々が風をあおげば、彫刻は散り散りになってしまう。人間の物理的な行為では、この彫刻を動かすことすらできない。

生命とは何か。例えば、ウイルスは、生物学上の生命の最小単位である細胞を持たないことや、自己増殖することがないことから、生物と無生物の境界領域に存在するものと考えられている。生物と無生物を分かつものが何であるかは、生物学上、未だに定義ができない。

石ころや、これまで人間がつくってきたものは、それ自体で安定的な構造をもつ。石ころは、外界から遮断され密封された箱に入れても存在し続けるが、生命は、そのような閉じた箱に入れられると存在を維持できない。生命は、自分自身で構造を持っていないのだ。

生命は、海に生まれる渦のようなものである。渦は、それ自体で安定した自らの構造を保っているものではなく、渦の外部から内部へ、そして内部から外部へと流れ続ける水によってつくられ、その流れによって渦の構造は維持され続ける。
渦は、流れの中にある存在であり、その存在の輪郭は曖昧である。

生命も、外部から食物として物質とエネルギーを取り込み、物質を排出し、エネルギーを外に散逸させながら、秩序構造をつくりあげている。生命は、物質とエネルギーの流れの中にある存在であり、渦と同じように、その存在の輪郭は曖昧なのである。
生命は、物質とエネルギーの流れの中にある奇跡的な現象であり、生命の構造は、その流れがつくるエネルギーの秩序なのだ。

この空間には、物質的には、ごく普通の石鹸と水と空気しか存在していない。泡は石鹸の泡である。
現在の生物学上は、生命の定義を厳密に行うことはできていないが、便宜的に、細胞を構成単位とし、代謝し、自己増殖できるものを生物と呼んでいる。つまり、全ての生物は、細胞でできている。そして、全ての細胞は、脂質二重層で構成された細胞膜で包まれている。二重層の外側は親水性、二重層の層と層の間は疎水性で、包んでいる袋の外側も内側も水である。

石鹸の泡も、同じように、脂質二重層の膜に包まれていて、この彫刻を構成している泡は、構造的には細胞膜と同じである。ただし、泡の二重層は細胞とは逆に、二重層の外側は疎水性、二重層の層と層の間は親水性になっているため、袋の外側も内側も空気である。つまり、細胞が水中の袋状の膜であるならば、泡は空気中の袋状の膜である。

空間を石鹸の泡で埋め尽くし、特異な環境によって、場にエネルギーの秩序を創る。そうすると、泡の海から巨大な白い塊が誕生し、浮き上がり、中空に定常する。
この彫刻は、生物の構成単位である細胞と同じ構造の物質と、特異な環境が生んだエネルギーの秩序によって創られたのである。

花と人、コントロールできないけれども、共に生きる - Transcending Boundaries, A Whole Year per Hour / Flowers and People, Cannot be Controlled but Live Together - Transcending Boundaries, A Whole Year per Hour

他の作品の境界を越え、一時間を通して、一年間の花々が咲いては散り、変化していく。 
花は生まれ、成長し、咲き、やがては散り、枯れていく。誕生と死滅を、永遠と繰り返し続ける。 花は、人々がじっとしているといつもより多く生まれ、人々が花に触ったり、歩きまわると、いっせいに散っていく。
作品は、コンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている。あらかじめ記録された映像を再生しているわけではない。全体として以前の状態が複製されることなく、人々のふるまいの影響を受けながら、永遠に変化し続ける。今この瞬間の絵は二度と見ることができない。
そして、「憑依する滝」の水の影響で散っていく。

春、国東半島に訪れた際、山の中の桜やふもとの菜の花を見ているうちに、どこまでが人が植えたものなのか、どこまでが自生している花々なのか疑問に思った。そこは多くの花に溢れ、非常に心地よい場所だった。そして、その自然が、人の営みの影響を受けた生態系であることを感じさせる。どこまでが自然で、どこからが人為的なのか、境界が極めてあいまいなのだ。つまり、自然と人間は対立した概念ではなく、心地良い自然とは、人の営みも含んだ生態系なのであろう。そして、近代とは違った、自然に対して、人間が把握したり、コントロールしたりできないという前提の自然のルールに寄り添った人の長い営みこそが、この心地良い自然をつくったのではないだろうか。その谷間の人里には、以前の自然と人との関係が、ほのかに残っているように感じられ、コントロールできないという前提の下での、自然への人為とはどのようなものなのか、模索したいと思う。

生命は生命の力で生きている II / Life Survives by the Power of Life II

自分と環境は、不二、つまり、二つに見えるが実際は一つであり、切り離せない。分断の反対とは、統合ではなく、二つに見えるものも実際は一つであることに気が付くことかもしれない。
自然の恵みも脅威も、そして文明の恵みも脅威も、連続的で、つながっている。どこかに絶対的な悪意があるわけでもなければ、かといって綺麗ごとでもすまされない。わかりやすい解などないし、感情すら整理できないかもしれない。それでも、あらゆる状況においても“生きる”それを全部肯定したい。生命はうつくしい。

生命や生きることを意味する漢字「生」を「空書」で立体的に書いている。「空書」とは、チームラボが設立以来書き続けている空間に書く書のこと。書の墨跡が持つ、深さや速さ、力の強さのようなものを、新たな解釈で空間に立体的に再構築し、チームラボの「超主観空間」によって2次元化している。書は平面と立体との間を行き来する。

レンズや遠近法で切り取った作品空間は、ディスプレイ面の向う側に、作品空間が出現する。つまり、ディスプレイ面が境界となり、鑑賞者が存在する空間と作品空間は、分断してしまう。しかし、「超主観空間」の特徴の1つであるが、「超主観空間」で切り取ったこの作品空間は、ディスプレイ面が境界とならない。この作品空間は、ディスプレイ面を超えて、鑑賞者が存在する空間まで立体的に存在しているかのように認知される。作品空間は、鑑賞者の肉体がある空間と連続する。
SUPERBLUE

Superblueは、体験型アートの概念を拡張するアーティストの実践の場であり、来場者を体験型アートの世界に取り込むことを目的とした新しいプロジェクト。参加アーティストには、チームラボの他に、レオ・ヴィラリアル、メアリー・コース、JR、ク・ジョンア、スタジオ・INI、スタジオ・スワイン、ジェームズ・タレル、エス・デブリン、DRIFT、名和晃平、カールステン・ニコライ、サイモン・ハイデンス、イエッペ・ハイン、ヤコブ・フスク・ステーンセン、リサ・プノ、ランダム・インターナショナル、ラファエル・ロサノ=ヘメル、ミシェル・ロブナーなど、体験型アートの第一人者たちが含まれる。


大規模な没入型の作品を展示するために設計されたSuperblueアートセンターは、アーティストが作品を触媒に現代の関心事を模索し、世界への新たな視点を生み出し、来場者をより作品世界に誘う場を提供。また、美術館、コレクター、芸術祭、建築家、自治体などとのコラボレーションを通じて、アーティストの活動の場を広げると同時に、これらのパートナーに対しては、共催、コミッション、販売を通して、大規模な体験型アート作品の制作、設営、展示の支援を行っていく。


Superblueは、ペース・ギャラリーの社長兼CEOのマーク・グリムシャーと、ペース・ロンドンの元社長でSuperblueのCCOを務めるモリー・デント・ブロックルハーストによって共同設立されたもので、クリスティ・マクレアをCEOに、ローレン・パウエル・ジョブズの慈善団体エマーソン・コレクティブを創立パートナーとして立ち上がった。


Superblueは今後数年のうちに、世界各国の都市に同じようなアートセンターを開設するとともに、デジタルの領域を推し進めるアーティストのために、ARやVRのプラットホームも開発していく。



来場案内

会場情報

Every Wall is a Door

会期

2021.5.20(木) - 終了日未定

時間

月 - 木: 11:00 - 19:00
金、土: 10:00 - 20:00
日: 10:00 - 19:00

ウェブサイト

アクセス

住所

Superblue Miami
1101 NW 23 Street
Miami, FL 33127

チケット

チケット料金

大人

USD 36.00

学生

USD 34.00

シニア
65歳以上

USD 34.00

軍人
大学または政府機関のIDを提示

USD 34.00

医療従事者

USD 34.00

子ども
3 – 12歳

USD 32.00

作品「質量のない雲、彫刻と生命の間」の体験

USD 12.00

チケット

アーティスト
logo
チームラボ
アートコレクティブ。2001年から活動を開始。集団的創造によって、アート、サイエンス、テクノロジー、そして自然界の交差点を模索している国際的な学際的集団。アーティスト、プログラマ、エンジニア、CGアニメーター、数学者、建築家など、様々な分野のスペシャリストから構成されている。 チームラボは、アートによって、自分と世界との関係と新たな認識を模索したいと思っている。人は、認識するために世界を切り分けて、境界のある独立したものとして捉えてしまう。その認識の境界、そして、自分と世界との間にある境界、時間の連続性に対する認知の境界などを超えることを模索している。全ては、長い長い時の、境界のない連続性の上に危うく奇跡的に存在する。 チームラボの作品は、ビクトリア国立美術館(メルボルン)、ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館(シドニー)、南オーストラリア州立美術館(アデレード)、オーストラリア国立美術館(キャンベラ)、アモス・レックス(ヘルシンキ)、ロサンゼルス現代美術館(ロサンゼルス)、サンフランシスコ・アジア美術館(サンフランシスコ)、ボルサン・コンテンポラリー・アート・コレクション(イスタンブール)、アジア・ソサエティ(ニューヨーク)などに収蔵されている。 teamlab.art Biographical Documents teamLab is represented by Pace Gallery, Martin Browne Contemporary and Ikkan Art.

主催

Superblue