チームラボアイランド 踊る!美術館と、学ぶ!未来の遊園地 in 大分 | teamLab / チームラボ

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2016.07.15(金) - 09.25(日)大分, 大分市美術館
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チームラボ、アートと未来の遊園地が結集した大分初の大規模な展覧会!

本展は、デジタル領域を中心に独創的な事業を展開するウルトラテクノロジスト集団チームラボの、世界でも評価の高いアート作品と、全国各地で大人気の「チームラボアイランド! -学ぶ!未来の遊園地-」を結集し、大規模で展示いたします。大空間で展開されるアートから、体を思いっきり動かす未来の遊園地まで、最先端を走るチームラボの全貌とその魅力を体験することで、テクノロジーとアート、学びと遊びの本質を発見し、そして未来を切り拓くクリエイティブ活動に、自ら参加することになるでしょう。

アート作品

花と人、コントロールできないけれども共に生きる – A Whole Year per Hour / Flowers and People, Cannot be Controlled but Live Together – A Whole Year per Hour

空間には複数の季節が同時に存在し、それらがゆっくりと移り変わっていく。
花々は、移り変わっていく季節に合わせて、生まれる場所がゆっくりと移り変わっていく。

花々は生まれ、成長し、つぼみをつけ、花を咲かせ、やがて散り、枯れて、死んでいく。つまり、花は誕生と死滅を、永遠に繰り返し続ける。 人々がじっとしていれば、その付近の花々は普段より多く生まれ、咲き渡る。人々が花にふれたり、踏むと、いっせいに散って死んでいく。

時に、他の作品の境界を越え、他の空間に咲きわたるが、他の作品の影響で散ったり、死滅したりする。

春、国東半島の里山に訪れた際、山の中の桜やふもとの菜の花を見ているうちに、どこまでが人が植えたものなのか、どこまでが自生している花々なのか疑問に思った。そこは多くの花に溢れ、非常に心地よい場所だった。そして、その自然が、人の営みの影響を受けた生態系であることを感じさせる。どこまでが自然で、どこからが人為的なのか、境界が極めてあいまいなのだ。つまり、自然と人間は対立した概念ではなく、心地良い自然とは、人の営みも含んだ生態系なのであろう。そして、近代とは違った、自然に対して、人間が把握したり、コントロールしたりできないという前提の自然のルールに寄り添った人の長い営みこそが、この心地良い自然をつくったのではないだろうか。その谷間の人里には、以前の自然と人との関係が、ほのかに残っているように感じられ、コントロールできないという前提の下での、自然への人為とはどのようなものなのか、模索したいと思う。

追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして分割された視点 / Crows are chased and the chasing crows are destined to be chased as well, Division in Perspective – Light in Dark

7画面を立体的に配置したデジタルインスタレーション。

コンピュータ上の三次元空間に立体的に構築した世界を、我々が考える日本の先人達の空間認識の論理構造「超主観空間」によって、平面化し映像化にしている。 光の八咫烏が空間を飛び回り、その軌跡が光跡となり光の空間に描く書『空書』を描いている。烏が空中を互いに追い追われつつ、花となって散っていく。

日本のアニメが生んだ表現のひとつに、アニメーター板野一郎によって確立された「板野サーカス」というものがある。画面いっぱいに埋め尽くすほど大量に発射されたミサイル群が、まったく正しくないパースペクティブで描かれた(より人間がダイナミックさや迫力を感じるようにデフォルメされて描かれた)空間を乱れ飛ぶさまを、超高速のカメラワークによる視点の回り込み演出による映像美であるとされ、80年代以降のアニメーション表現に大きな影響を与えた。

本作品は、板野サーカスをオマージュし、二次元のアニメーションで行われていた空間のデフォルメを三次元空間で再現することによって、日本のアニメーター達が生んだデフォルメされた空間とは、どのような空間認識の論理構造であるか、それらは伝統的な日本の空間認識の連続性の中にあるのではないかという仮説の模索である。そして、デフォルメされた空間を三次元空間で再現することによって、平面化した時自由に横に広げ、実際の現実空間に再構築することを試みている。そして平面を分割し、分割された平面を現実空間に立体的に配置することによって、どのような体験になるかという実験でもある。

世界は、統合されつつ、分割もされ、繰り返しつつ、いつも違う / United, Fragmented, Repeated and Impermanent World

伊藤若冲(1716 – 1800)は、近世日本の絵師の一人。江戸時代中期の京都にて活躍した。若冲は、画面全体を数万もの升の形に区切って升目ごとに彩色する、『升目画』という特異な表現方法を残している。本作品は『鳥獣花木図屏風』や『樹花鳥獣図屏風』をモチーフにしている。升目画は、どこかコンピュータの機能的制約から生まれたピクセルアートに通ずるところがある。若冲の升目画は、西陣織(京都西陣で織られる伝統的高級絹織物)の制作工程の工業的制約か、もしくは、それに触発されて描かれたのではないかという説がある。ピクセルアートも機能的制約で生まれたが、機能的制約がなくなった現在でも、表現のひとつとして愛されている。升目画に、直感的に感じるデジタル感とは、そんなところではないかと思っている。升目画は、ひとつの升目ごとに何種類かの色彩を使って四角の中に模様を描いており、印象主義や点描主義よりも以前から、視覚混合の光学現象を意識して表現しているかのように思える。
本作は、仮想の三次元空間上で動植物を立体物として動かし、その空間を「超主観空間」によって映像作品にしている。そして、三次元空間上の色を、画面の升目ごとに、升目の中の何重にも描かれた模様によって分割し、彩色している。たとえば、ある升目の模様が赤と青で彩色されていたら、その部分は三次元空間上では紫だった部分である。
画面の升目が固定されたまま空間は動いていくので、升目内の彩色は空間とは違う時間軸でうごめく。遠くで全体を見た時、視覚混合による鮮やかな色彩は、遅い時間軸で動いていく空間の動植物の世界。近くで凝視した時、升目ごとに細かく描かれた模様によって分割された色彩は、速い時間軸で変化していく世界。ふたつの時間軸が共存する。
部分によっては、升目が升目内のもっとも多い色で塗りつぶされ、抽象的な世界を構成する。さらに、鑑賞者が作品の前に存在するとき、その近くの升目も同様に塗りつぶされていく。動植物は空間上で動くが、画面内で固定化された升目によって抽象化される。鑑賞者の存在によって、升目画の世界と、升目によって抽象化されて描かれた世界とが混ざりあう。

憑依する滝 / Universe of Water Particles

仮想の三次元空間に岩を立体的につくり、その岩に水を落下させる。水は、無数の水の粒子の連続体で表現し、粒子間の相互作用を計算している。滝を物理的に正確な水の運動シミュレーションとして構築している。 そして、全体の水の粒子の中からランダムで選んだ0.1%の水の粒子の挙動によって、空間上に線を描く。その線の集合で滝を描いている。つまり、無数の線の裏側には、その1000倍もの水の粒子が存在し、それら全体の相互作用によって、線の曲線が決定している。 そして、三次元空間上に立体的に描かれた滝を、我々が考える「超主観空間」によって映像作品にしている。

前近代の日本の絵画では、川や海など水は、線の集合として表現されることが多い。そして、その線の集合はまるで生き物かのようにどこか生命感を感じる。前近代の人々らには、実際、古典的な日本の絵画(川や海などで言うならば、まるで生き物のように見える線の集合)のように、世界が見えていたのではないだろうか。

「なぜ、前近代の人々が川や海そのものに生命を感じていたかのようなふるまいをしていたのか?」、そして、「なぜ、彼ら自身も自然の一部であるかのようなふるまいをしていたのか?」という疑問へのヒントが、それらの絵画表現の中にあるように感じる。そこには常識によって固定化された現代の客観的世界と、前近代の人達が見ていた主観的世界を再び統合的なものにしていくヒントがあるのではないだろうか。この作品を見た時、この作品の滝が物理現象を再現して描いているにも関わらず、その線の集合に生命感を感じるならば、前近代の人々の主観的世界と言われる世界も、客観的な認識の一側面であるかもしれなく、そして、現代の客観的世界も、客観的な認識の単なる一面であると言える。

もし、ビデオカメラで切り取った本物の滝よりも、本作の滝の方に、より鑑賞者と作品世界との間に境界線がなくなるような、作品世界に入り込むような感覚、もっと大胆に言えば、その線の集合にすら生命体だと感じ、まるで鑑賞者が滝に憑依するかのような体験をするならば、前近代的な日本の「世界の見え方」と、そこから発生する「世界に対するふるまい」とのつながりが見えてくる。

自然とは観察の対象ではなく、「自分自身も自然の一部である」と考えていたかのようなふるまいは、単に、かつての人々の見え方が、川や海のような自然の一部を生命体のように見せ、自然の一部にすら憑依させてしまいやすい見え方だったからではないだろうか。つまり、自然と自分との境界がないような感覚になりやすい見え方だったからではないだろうかと思うのだ。

学ぶ!未来の遊園地

来場案内

会場情報

チームラボアイランド 踊る!美術館と、学ぶ!未来の遊園地 in 大分

会期

2016.07.15(金) - 09.25(日)

開館時間

10:00~18:00
(入館は17:30まで)

休み

9月12日(月)
9月20日(火)

料金

・当日券
一般:1500円、高校生大学生:1200円

・前売券、20人以上の団体
一般:1300円、高校生大学生:1000円

・ペア割チケット(ローソンチケット、チケットぴあ、セブンイレブン限定)
一般:2600円、高校生大学生:2000円

※中学生以下無料(学生証等をご提示下さい。)
※小学生以下は高校生以上の保護者同伴が必要(但し保護者1名につき小学生以下の同伴数は4名を限度とします。)
※ぺア割チケットはローソンチケット、チケットぴあ(セブン-イレブン)限定販売
※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳提示者とその介護者は無料
      ※本展観覧料でコレクション展(常設展)も併せてご覧になれます。
※「大分市美術館年間パスポート」お持ちの方は1回目の観覧料は無料、ただし期間中2回目以降の観覧料は1000円になります。

【チケット販売所】前売券販売は2016年6月1日~7月14日まで
ローソンチケット[Lコード:83333]
チケットぴあ [Pコード:990-306]
トキハ会館、トキハ別府店、TOS ハウジングメッセ,大分市美術館

問い合わせ

TOSテレビ大分 営推事業部
〒870-8636 大分市春日浦843-25 TEL097-537-5515 FAX097-537-8460
大分市美術館 美術振興課
〒870-0835 大分市大字上野865番地TEL097-554-5800 FAX097-554-5811

アクセス

住所

大分市美術館
大分市大字上野865番地
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チームラボ
アートコレクティブ。2001年から活動を開始。集団的創造によって、アート、サイエンス、テクノロジー、そして自然界の交差点を模索している国際的な学際的集団。アーティスト、プログラマ、エンジニア、CGアニメーター、数学者、建築家など、様々な分野のスペシャリストから構成されている。 チームラボは、アートによって、自分と世界との関係と新たな認識を模索したいと思っている。人は、認識するために世界を切り分けて、境界のある独立したものとして捉えてしまう。その認識の境界、そして、自分と世界との間にある境界、時間の連続性に対する認知の境界などを超えることを模索している。全ては、長い長い時の、境界のない連続性の上に危うく奇跡的に存在する。 チームラボの作品は、ロサンゼルス現代美術館(ロサンゼルス)、ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館(シドニー)、南オーストラリア州立美術館(アデレード)、サンフランシスコ・アジア美術館(サンフランシスコ)、アジア・ソサエティ(ニューヨーク)、ボルサン・コンテンポラリー・アート・コレクション(イスタンブール)、ビクトリア国立美術館(メルボルン)、アモス・レックス(ヘルシンキ)に収蔵されている。 teamlab.art Biographical Documents teamLab is represented by Pace Gallery, Martin Browne Contemporary and Ikkan Art.

主催

大分市美術館、TOSテレビ大分、チームラボアイランド2016大分実行委員会

特別協賛

ヤクシングループ

協賛

ぺんてる株式会社