環境現象 / Environmental Phenomena
2020
作品は、作品自体で存在できず、環境が現象を生み、その現象が作品の存在である。
これまで人間がつくってきたものは、石ころと同じように物質によって存在がつくられ、それ自体で安定的な構造をもつ。そのようなものとは違い、環境によって作品の存在がつくられる。
環境が現象を生み、環境がその存在の構造を維持する。その存在を環境現象と呼ぼう。
存在は、これまで存在を担っていた物質から解放され、日常的にありふれた空気や水、光なども特異な環境によって現象となり、その現象が存在となるだろう。そして、その存在の境界は曖昧で連続的である。人々が作品を壊したとしても、環境が維持される限り、作品は存在が維持される。逆に、環境が維持されない時、作品は消えてなくなってしまう。人々の意識は、存在そのものから環境に広がっていくだろう。
石ころは、外界から遮断され密封された箱に入れても存在し続けるが、生命は、そのような閉じた箱に入れられると存在を維持できない。生命もまた、環境によって維持されている存在である。
生命は、開いた世界の中で、連続する流れの中の奇跡的な現象かもしれないのだ。
FEATURED WORKS
生命は結晶化したうごめく光 / Living Crystallized Light
teamLab, 2022, Interactive Installation, Sound: teamLab
人々は作品の中に入ることができる。人々が作品の中に身体ごと入ったとしても、作品は壊れず、作品の存在は維持され続ける。作品に触れると、見えている部分は、何の変哲もない水の一部だと気が付く。つまり、作品は作品自体で存在せず、環境がつくる特異な現象が作品の存在である。
鑑賞者が動くと、作品は出現する場所が変わっていく。鑑賞者が見ているその作品は、その鑑賞者にしか見えていなく、隣の人からは、違う場所に、違う色の作品が出現している。つまり、見えているその作品の存在は、環境が生み出し、鑑賞者の中にだけ存在する。
Environmental Phenomena
チームラボは、環境現象という考えで作品の存在をつくることを模索している。それは、作品は作品自体で存在せず、環境がつくる現象が作品の存在をつくるという考えだ。
石ころや、これまで人間がつくってきたものは、それ自体で安定的な構造をもつ。そのようなものとは違い、環境によって作品の存在をつくる。
環境が現象を生み、環境がその現象の構造を安定させ、安定した現象が作品の存在である。
環境現象は、これまで存在の構造を担っていた物質から解放され、日常的にありふれた空気や水、光なども環境によって特異な現象となり、その現象がアートの存在となるだろう。そして、その存在の境界は曖昧で連続的である。人々が作品を壊したとしても、環境が維持される限り、作品は存在が維持される。逆に、環境が維持されない時、作品は、消えてなくなってしまう。
人々の意識は、存在そのものから環境に広がっていくだろう。
石ころは、外界から遮断され密封された箱に入れても存在し続けるが、生命は、そのような閉じた箱に入れられると存在を維持できない。
生命もまた、環境によってつくられている存在である。
生命は、開いた世界の中で、連続する流れの中に生まれる奇跡的な現象かもしれないのだ。
質量のない雲、彫刻と生命の間 / Massless Clouds Between Sculpture and Life
teamLab, 2020, Interactive Installation, Sound: teamLab
作品空間に、生命と同じように、エネルギーの秩序を創った。そうすると、巨大な白い塊が生まれ、浮き上がる。
この巨大な白い塊である彫刻は、質量の概念を超越し、地面に沈むこともなく、天井まで上がりきることもなく、空間の中ほどを漂う。この浮遊する彫刻の存在の輪郭は曖昧で、千切れて小さくなったり、くっついて大きくなったりする。そして、人々はこの彫刻に身体ごと没入でき、人々によって壊されても、生命と同じように自ら修復する。しかし、生命がそうであるように、塊は、自ら修復できる範囲を超えて破壊された時、修復が追いつかず崩れていく。そして、人々が押したり、横にのけようとしても、塊を動かすことができないし、人々が風をあおげば、彫刻は散り散りになってしまう。人間の物理的な行為では、この彫刻を動かすことすらできない。
生命とは何か。例えば、ウイルスは、生物学上の生命の最小単位である細胞を持たないことや、自己増殖することがないことから、生物と無生物の境界領域に存在するものと考えられている。生物と無生物を分かつものが何であるかは、生物学上、未だに定義ができない。
石ころや、これまで人間がつくってきたものは、それ自体で安定的な構造をもつ。石ころは、外界から遮断され密封された箱に入れても存在し続けるが、生命は、そのような閉じた箱に入れられると存在を維持できない。生命は、自分自身で構造を持っていないのだ。
生命は、海に生まれる渦のようなものである。渦は、それ自体で安定した自らの構造を保っているものではなく、渦の外部から内部へ、そして内部から外部へと流れ続ける水によってつくられ、その流れによって渦の構造は維持され続ける。
渦は、流れの中にある存在であり、その存在の輪郭は曖昧である。
生命も、外部から食物として物質とエネルギーを取り込み、物質を排出し、エネルギーを外に散逸させながら、秩序構造をつくりあげている。生命は、物質とエネルギーの流れの中にある存在であり、渦と同じように、その存在の輪郭は曖昧なのである。
生命は、物質とエネルギーの流れの中にある奇跡的な現象であり、生命の構造は、その流れがつくるエネルギーの秩序なのだ。
この空間には、物質的には、ごく普通の石鹸と水と空気しか存在していない。泡は石鹸の泡である。
現在の生物学上は、生命の定義を厳密に行うことはできていないが、便宜的に、細胞を構成単位とし、代謝し、自己増殖できるものを生物と呼んでいる。つまり、全ての生物は、細胞でできている。そして、全ての細胞は、脂質二重層で構成された細胞膜で包まれている。二重層の外側は親水性、二重層の層と層の間は疎水性で、包んでいる袋の外側も内側も水である。
石鹸の泡も、同じように、脂質二重層の膜に包まれていて、この彫刻を構成している泡は、構造的には細胞膜と同じである。ただし、泡の二重層は細胞とは逆に、二重層の外側は疎水性、二重層の層と層の間は親水性になっているため、袋の外側も内側も空気である。つまり、細胞が水中の袋状の膜であるならば、泡は空気中の袋状の膜である。
空間を石鹸の泡で埋め尽くし、特異な環境によって、場にエネルギーの秩序を創る。そうすると、泡の海から巨大な白い塊が誕生し、浮き上がり、中空に定常する。
この彫刻は、生物の構成単位である細胞と同じ構造の物質と、特異な環境が生んだエネルギーの秩序によって創られたのである。
我々の中にある巨大火花 / Giant Solidified Spark
teamLab, 2022, Digital Installation, Sound: teamLab
無数の光線の集合による球体。
細い光の線は、中心から放射状に無数に広がり、球体を形作る。光源は動かないが、無数の線はうごめき続ける。
球体には境界面がなく、作品と身体との境界の認識は曖昧である。球体に触れようとすると、物理的な境界面はないため、手は球体の中に入る。
この球体は、何か?線はなぜうごめくのか?
我々の世界は、我々の中にあるのだ。
そして、この線群の球体を認知した後、認知している世界は広がり、世界中のいたるところでこの線群の球体を見ることになるだろう。
質量のない太陽と闇の球体 / Massless Suns and Dark Spheres
teamLab, 2022, Interactive Digital Installation, Endless, Sound: Hideaki Takahashi
無数の光の塊の球体群と闇の塊の球体群。
1つ1つの光の球体は、光が凝固してできたかのような光だけでできた塊として、空間上にはっきりと知覚されるにも関わらず、物質的な境界面はない。球体と身体との境界の認識は曖昧である。視野を広げると、暗闇だけでできた青紫色の闇の球体も現れはじめる。
人々が光の球体に触れようとすると、強く輝き、周辺の球体も次々と呼応し連続していく。
この宇宙では、光は凝固せず、光だけの塊は存在しない。つまり、この光の球体は、あなたの認知上に存在する。
そして、作品はそれ自体では存在できず、環境がつくる現象が、作品の存在である。存在とは何かを問う。
空中浮揚 - 平面化する赤と青、曖昧な紫 / Levitation - Flattening Red and Blue & Blurred Violet
teamLab, 2021, Digital Installation, Sound: Hideaki Takahashi
作品空間に、生命と同じように、エネルギーの秩序を創った。
球体は、何にも吊られていない。それにもかかわらず、球体は、エネルギーの秩序によって、質量の概念を超越し、空中に浮上し、地面でも天井でもない空中の中ほどに静止したり、空中を上がったり下がったりを繰り返す。球体は、人々が叩くと飛んでいき、地面に落ち、転がっていく。しかし、何も邪魔がなければ、自らの状態を修復するかのよう、再びゆっくりと空中に上がっていく。
そして、球体は、立体と平面の間を行き来する。
生命とは何か。例えば、ウイルスは、生物学上の生命の最小単位である細胞を持たないことや、自己増殖することがないことから、生物と無生物の境界領域に存在するものと考えられている。生物と無生物を分かつものが何であるかは、生物学上、未だに定義ができない。
一方、あなたが明日もあなたであり続けているのは、形あるものが崩れていく「エントロピー増大の法則」に反している。つまり、エントロピー(無秩序の度合いを表す物理量)が極大化に向かうとされている宇宙の中で、生命とはその方向に反している存在なのだ。生命は、古典的な物理の法則に反する、超自然現象である。
1977年にノーベル化学賞を受賞した化学者・物理学者のイリヤ・プリゴジンは、自然界には外部からエネルギーを取り入れて、内部でエントロピーを生産し、そのエントロピーを外に排出することによってのみ形成され、非平衡状態の中で維持されるある種の秩序・構造が存在する事を発見した。エネルギー(および物質)を外部に散逸させてエントロピーを外部に捨てることによって内部のエントロピーを減少させて秩序を作り出す。生命体は外部から食物としてエネルギーを取り込み、排泄物としてエントロピーを外部に捨て、エントロピーを維持しているとも言える。
生命とは、外部の環境と連続的である、エネルギーの秩序であるかもしれないのだ。
そして、生命の存在そのものが物理の法則に反する超自然現象であるがゆえに、作品空間にエネルギーの秩序をつくると、球体はまるで物理の法則に反する超自然現象かのように万有引力に逆らい、ゆっくりと浮き上がり、空間の中ほどに留まったり空中を上下したりする。
目前で起こっている(自然界の法則を超えた現象という意味の)超自然現象をただ観る時、認知そのものが変化していく。そして、その認知の変化があなたを「日常とは違った状態」へと導くだろう。
作品による認知の変化を模索する。