Design Tide in Tokyo 2006 | teamLab / チームラボ

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Design Tide in Tokyo 2006
終了しました
2006.11.01(水) - 11.05(日)東京, 国際連合大学
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Design Tide in Tokyo 2006
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2006.11.01(水) - 11.05(日)東京, 国際連合大学

作品

メモデスク

机の天板が分厚いメモ帳になっているつくえ。思いついたことは机に残す。そして切り取る。大きく描いたり小さくメモしたり大勢で描きあったり。メモは追加でどんどん補充できる。
[CONCEPT]
クリエイティビティをチームで産むために。
ホワイトボードは、情報社会以前の会議ツール。 情報社会以前、チームメンバーは同じスキルを持ち、同じ作業をしていました。チームの長はもっともそのスキルが高い人です。なので、会議では、長は、説明をわかりやすくするために、ホワイトボードを使いメンバーは、聞くというスタイル。 情報社会は、以前と比べ、相当複雑な社会。 解決すべき問題も、超複雑。 理想の会議のメンバーは、みんな違ったスペシャリティ。 例えば、webの開発といっても、ajaxとフラッシュとjavaとphpと.netとリナックスとオラクルのDBとフリーのDBとサーチの全部できるスペシャリティなんて、聞いたことがありません。でも、そのスペシャリティが集まって一番いい方法を考えないと、いいものは創れません。
違ったスペシャリティがフラットな関係で、フリーにディスカッションする。それも各々が手を動かして、書きながら、見せながら、そしてその途中に他の人が、クチを挟み、手も挟み、書き加えながら、考えていく。 情報社会以前の良い会社を作りたければ、壁全部ホワイトボードの「それっぽく見える」会議室にしましょう。 世の中にはうけますが、情報社会には行けません。情報社会の未来を築きたいならばめもですく。 机という機能を使う行為の中に、「手を動かして書きながら、見せながら、そして、その途中に他の人がクチを挟み、手も挟み、書き加えていく」というさらなる価値を、そしてその価値のためにめもですくを使う。

うつろいろ / UTSUROIRO

水墨空間
西洋で発達した科学というものは、客観と合理性のみをその対象としてきた。主観的なもの、非合理的なもの、身体的なもの、好き嫌いの感情などは、科学から は長らく無視されてきた。それらは科学の取り扱うべきものではないとされたのである。その客観と合理性のみの追求の結果、西洋の文明は、他の文明を圧倒す る成功を収めたが、21世紀初頭の現在、それは明らかな行き詰まりを迎えている。

私たちはこのように考える。行き詰まるのは当然である。なぜなら、実際に人間の生きている世界は、科学が無視した主観的なもの、身体的なものこそ が、その9割程度を占めているからだ。それなのにその領域は、科学が無視してきたため、例えば芸術家やクリエイターの、個人的な霊感と努力のみに委ねられ ている。主観は、科学にとっては、未開拓の荒野として残されているのである。

主観は果たして科学の対象とならないのであろうか。そうではない、と私たちは考える。例えば日本画、その中でも例えば水墨画は、客観的世界とは大い に異なった、主観による極めて抽象的な表現だが、数々の優れた作品が存在し、多くの人が同じように感動する。感動に人を問わない共通性があるなら、そこに は何らかの法則があるはずだ。法則があるなら、それは科学とテクノロジーによって、探究・再現が可能のはずだ。

こういう思考の元に、私たちは、水墨画の美を3DCGというテクノロジーで分析・再現することを試み、そしてこの作品という一つの結果を得た。

私たちは主張する。西洋の文明は行き詰まったが、科学そのものはまったく行き詰まっていない、主観という手つかずの沃野が、まさに目の前に広がって いるのだ、と。つまりこの作品は「主観こそが現代科学の切り開くべきフロンティアだ」という、私たちの高らかなマニフェストなのである。

永らく続いた客観主義に基づいた世界の捉え方は、行き詰まりを感じている。ではどうやって世界を捉えればいいのか?客観主義による行き詰まりを乗り 越えるヒントを、実は、我々の先代達は、持っていたのではないか?そう考えて、そこを模索してみようと思ったのが、このプロジェクトのはじまりである。

日本の先人達は、特有の美術表現で、3次元空間を2次元の平面に落としこんで来た。3次元空間を2次元に落とすということは、数学的に言えば、情報 量を圧縮することである。西洋では、遠近法に代表されるように、客観的な法則で、空間を2次元で表現した。しかし、日本の先人達は、客観的な手法ではな く、極めて主観的な手法で、2次元平面に圧縮してきたように思えるのだ。その最も圧縮度合いが高いのが、墨絵であるように思っている。墨絵とは、そう、極 めて、主観的な人間の力によって、究極まで、圧縮された空間なのである。

空間を主観的に圧縮したということは、そもそも人間は、世界を主観的に捉えていたことを、われわれの先代達は、知っていたのだろう。それが、いつの まにか、西洋の客観的世界観が、まるで全てのようになり、我々の世界は、頭で考える理性的客観的世界と体で感じる感情的主観的世界が分離し始めたのだ。過 去に回帰しようと言うわけではない。全ての文明と科学の発展を肯定した上で、分裂した世界をもう一度、統合的なものにする、チャレンジなのである。
世界を人がどのように主観的に圧縮したのか、そもそも、そこまで圧縮された表現、大胆でかつシンプルな線で、そもそもなぜ、人々は、躍動感や、世界観を感じることができるのか、
そこに、一定の法則は、あるのか?

コンピューター上で作った仮想な3次元空間を、テクノロジーを使って、墨絵と感じるような美術表現を作るということは、その構造を知るヒントになるかもしれない。それは、従来の客観的視点に立って発展してきたテクノロジーへの新たなチャレンジである。

来場案内

会場情報

Design Tide in Tokyo 2006

会期

2006.11.01(水) - 11.05(日)
アーティスト
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チームラボ
アートコレクティブ。2001年から活動を開始。集団的創造によって、アート、サイエンス、テクノロジー、そして自然界の交差点を模索している国際的な学際的集団。アーティスト、プログラマ、エンジニア、CGアニメーター、数学者、建築家など、様々な分野のスペシャリストから構成されている。 チームラボは、アートによって、自分と世界との関係と新たな認識を模索したいと思っている。人は、認識するために世界を切り分けて、境界のある独立したものとして捉えてしまう。その認識の境界、そして、自分と世界との間にある境界、時間の連続性に対する認知の境界などを超えることを模索している。全ては、長い長い時の、境界のない連続性の上に危うく奇跡的に存在する。 チームラボの作品は、ロサンゼルス現代美術館(ロサンゼルス)、ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館(シドニー)、南オーストラリア州立美術館(アデレード)、サンフランシスコ・アジア美術館(サンフランシスコ)、アジア・ソサエティ(ニューヨーク)、ボルサン・コンテンポラリー・アート・コレクション(イスタンブール)、ビクトリア国立美術館(メルボルン)、アモス・レックス(ヘルシンキ)に収蔵されている。 teamlab.art Biographical Documents teamLab is represented by Pace Gallery, Martin Browne Contemporary and Ikkan Art.