teamLab: Continuity | teamLab / チームラボ

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2021.07.23(金) - 2022.02.28(月)カリフォルニア, サンフランシスコ, サンフランシスコ・アジア美術館
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2021.07.23(金) - 2022.02.28(月)カリフォルニア, サンフランシスコ, サンフランシスコ・アジア美術館

連続性

「teamLab: Continuity」は、デジタルテクノロジーはアートを拡張させ、アートは物理的、概念的な境界を超えるという、チームラボの核となるコンセプトに基づき、通常のアートの展覧会での体験とは異なる手法を取っている。私たちを取り巻く世界から選び取った物を、一つにまとめて、あるいは順番に並べて展示するのではなく、明確な境界や地図のない大規模なアートの世界を提供している。インタラクティブなデジタルインスタレーションは、あらかじめ記録された映像を再生しているわけでも繰り返しているわけでもない。作品は、リアルタイムで描かれ続けている。鑑賞者のふるまいの影響を受けながら、作品は永遠に変化し続け、全体として以前の状態が複製されることはなく、二度と見ることができない。作品は境界を超え、拡張し、影響を与え、時には混ざり合う。

展覧会は、何世紀にもわたって多様な役割を果たしており、私たちを取り巻く世界を理解する方法として頻繁に用いられる。王室のコレクションでは豪華で魅了させるものが集められた。万国博覧会や展示会では、アートと文化に並び、近代的なテクノロジーを紹介するために企画された。このような展示方法は、現代の美術館の慣例と同様、権力と結びついている。キュレーションされた主観と客観の排他性、体験の希薄性、誰が何をいつ収集したかという政治性が、私たちが訪れる現代の展覧会でも未だに引き継がれている。

現代の美術館は、友人や他人と共有する社会的なイベントとして、期間展示などの特別なイベントに参加したいという興味と、個人的な経験として、アートについて深く考え吟味したいという欲求とのバランスをとる必要がある。「teamLab: Continuity」では、没入型のアートが作品同士や空間内にいる人々に反応し、他者の存在を、重要でポジティブな経験に変えていく。意思のある身体で探索し、発見し、他者とともに新しい世界を作っていく。

集団の未来: デジタルインタラクティブの時代における展覧会
気候危機という世界的な脅威に日常的に直面する困難な時代に生きていると、チームラボのアートの楽しさや驚きは、現実逃避や自己中心的、あるいは無知だと思えるかもしれない。しかし、実際に展覧会を体験した後、現実世界とのつながりを否定することはできなかった。自然界の生命の循環が終わっては始まり、歴史的な表現方法を模索して再展開し、私たちと環境が相互に影響を与えあっていることが前面に表現されている。様々な体験やイメージ、テンポは一定の連続性によって作られているが、大規模なアルゴリズムに制御され、互いにつながっているアート作品が、二度と同じ姿になることはない。途切れることのない体験の変化や、作品のインタラクティブな性質は、鑑賞者のふるまいだけでなく、その存在そのものによって成り立っている。王室のコレクションや万国博覧会、デジタル化以前の展覧会を思い返してみると、デジタルインタラクティブで、かつてないほどつながっている時代に開催されるこの展覧会は、何が違うのだろうか?私たちが住む世界をより深く理解したいという根本的な衝動は変わっていないのだろうか?それとも、クリエイティブな別の方法を提供することで、鑑賞者を現実世界から切り離そうとしているのだろうか?

チームラボの作品は、咲いた花、墨の一筆の動き、空高く飛ぶ鳥、魚の群れなどを解釈したものであり、別世界への窓のようにも感じられるが、私たちが住むこの世界を映し出す鏡としての役割も果たす。それぞれの作品は、予め決められた方法で見るのではなく、戻ったり、見直したり、再び探したりできる。受動的に作品を消費するのではなく、鑑賞者は自動的に自らシンポイエーシス―「一緒に作り上げること」―、つまり集団的な制作に関わっていく。「teamLab: Continuity」は、単に目で見て素晴らしい物を集めた展覧会ではなく、私たちが住む世界は共同で創られたものである、ということを考えさせる場である。それは生態系と同様、アートと文化のための空間で認識する、集団としての極めて重要な特権であり、責任でもある。

サンフランシスコ・アジア美術館 キュレーター カリン・オーエン


私は、日本の田舎で生まれ育った。

その頃、山の中の景色に感動し、カメラで撮った景色と、自分が体験した景色とが、非常に異なることに興味をもった。そして、テレビに映しだされた世界が、自分の身体のある世界と連続しているとはどうしても思えないことや、そもそも、人々が世界をまるで境界があるかのように振舞うことに、疑問を覚えた。

2001年に、多様な専門家の集団的実験の場としてチームラボをはじめた。その頃から、写真や動画、つまり、レンズで世界を切り取ると、切り取った世界が画面の向う側に生まれ、画面が境界になることに気が付いた。レンズで世界を切り取ると、視点が固定され、身体を捨ててしまうことになる。つまり、テレビや映画を、歩き回りながら見るのではなく、座ってみるのは、レンズがそうさせているのだ。

そこで、レンズとは違い、画面が境界とならず、なおかつ、視点が固定されない空間の切り取り方ができないものかと、模索しはじめた。日本、そしてアジアの古典絵画にヒントを求め、そのような空間認識の論理構造を模索し、構築し、「超主観空間」と名付けた。そして、その論理構造で映像作品をつくり始めた。

画面が境界面にならないということは、理解し難いことだと思うが、今回は、それを理解しやすいように、プロジェクション作品だけではなく、展覧会の入り口に、《生命は生命の力で生きているⅡ》というディスプレイ作品をあわせて展示している。レンズや遠近法とは違い、「超主観空間」で切り取ったこの作品における空間は、ディスプレイ面が境界とならず、作品空間は、ディスプレイ面を超えて、鑑賞者が存在する空間まで立体的に存在しているかのように認知される。作品空間が、鑑賞者の肉体がある空間と連続することを実感できるはずだ。

視点が移動できるということは、映像を、自由に歩きながら見られる、身体的知覚ができるということ。身体的な美術、つまり、自由に歩きながら体験していく身体的な空間芸術をつくることができる。古典をヒントに構築した超主観空間によるインタラクティブな作品群によってできた世界は、来場者の身体がある世界と、作品世界に境界が生まれず、まるで、作品世界の中に自分の身体があるかのような体験となる。そして、その身体が動的である状態、つまり歩きながら体験していく、まさに身体的な空間芸術をつくってきた。

本展覧会は、全てが境界なく連続することをコンセプトとしている。人間は世界を認識するとき、分断し、境界のある独立したものとしてとらえてしまう。言語での認識はその典型である。アートも独立したものが対象となっている。私たちは、様々な作品が関係し合い、境界なく連続する世界を創りたいと考えた。それは、統合的に世界を捉え直すきっかけになり、そもそも連続していることそのものが美しいと思うからだ。

充実したアジア美術のコレクションを誇るこの美術館に、新しいパビリオンが増築され、そこで最初の展覧会を、私たちができることを、とても光栄に感じている。人類の長い歴史における知の連続性の上に、私たちの作品はあるからだ。そして、この展覧会を通じて、現代と、現代に連続する過去とを行き来し、そして理想的な未来の想像が少しでもできるような展覧会となることを願っている。

猪子寿之/teamLab

作品

花と人の森、埋もれ失いそして生まれる / Forest of Flowers and People: Lost, Immersed and Reborn

空間には複数の季節が同時に存在し、それらがゆっくりと移り変わっていく。
花々は、移り変わっていく季節に合わせて、生まれる場所がゆっくりと移り変わっていく。

花々は生まれ、成長し、つぼみをつけ、花を咲かせ、やがて散り、枯れて、死んでいく。つまり、花は誕生と死滅を、永遠に繰り返し続ける。 人々がじっとしていれば、その付近の花々は普段より多く生まれ、咲き渡る。人々が花にふれたり、踏むと、いっせいに散って死んでいく。

時に、他の作品の境界を越え、他の空間に咲きわたるが、他の作品の影響で散ったり、死滅したりする。

春、国東半島の里山に訪れた際、山の中の桜やふもとの菜の花を見ているうちに、どこまでが人が植えたものなのか、どこまでが自生している花々なのか疑問に思った。そこは多くの花に溢れ、非常に心地よい場所だった。そして、その自然が、人の営みの影響を受けた生態系であることを感じさせる。どこまでが自然で、どこからが人為的なのか、境界が極めてあいまいなのだ。つまり、自然と人間は対立した概念ではなく、心地良い自然とは、人の営みも含んだ生態系なのであろう。そして、近代とは違った、自然に対して、人間が把握したり、コントロールしたりできないという前提の自然のルールに寄り添った人の長い営みこそが、この心地良い自然をつくったのではないだろうか。その谷間の人里には、以前の自然と人との関係が、ほのかに残っているように感じられ、コントロールできないという前提の下での、自然への人為とはどのようなものなのか、模索したいと思う。

追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、超越する空間 / Crows are Chased and the Chasing Crows are Destined to be Chased as well, Transcending Space

空間の入口付近中央に立って見る作品。

展覧会場の奥にある空間に、「追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして境界を越えて飛ぶ」が入ってくると、この作品ははじまる。カラスが空間を出てていき、いなくなると、作品は終わる。

空間の入口付近中央に立つと、壁や床の境界面がなくなり、カラスの軌跡が描く線が空間に立体的に描かれはじめ、やがて作品世界に身体ごと没入し、人々は身体と作品世界との境界をも失っていくだろう。

光で描かれた八咫烏が空間を飛び回り、その軌跡が光跡となり光の空間に描く書「空書」を描いている。カラスが互いに追い追われる。追うカラスも、やがて追われる側になり、追いつかれカラス同士ぶつかると、カラスは散って花となる。
また、カラスは、鑑賞者を把握しよけながら飛んで行くが、よけきれずに鑑賞者にぶつかると同じように散って花となる。

作品はコンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている。あらかじめ記録された映像を再生しているわけではない。全体として、以前の状態が複製されることなく、変容し続ける。今この瞬間の絵は二度と見ることができない。

The Way of the Sea, Transcending Space - Colors of Life

空間の入口付近中央に立って見る作品。
展覧会場の奥にある空間に、《The Way of the Sea, Flying Beyond Borders》の魚の群れが入ってくると、この作品ははじまる。群れが空間を出てていき、いなくなると、作品は終わる。
空間の入口付近中央に立つと、壁と床の境界がなくなり現実空間が消え、群の軌跡が描く線が空間に立体的に描かれはじめ、作品世界に身体ごと没入し、人々は身体と作品世界との境界をも失っていくだろう。
光で描かれた魚群が空間を自由無礙に泳ぎ、その軌跡が光跡となり、空間に描く線を描いている。 また、魚は、人々を把握し、ぶつからないように人々を避けようとする。人々はそれぞれ色を持っており、人の近くを通った魚は、その色に染まっていく。
この作品は「鳥道」という作品のシリーズである。禅に「鳥道」という言葉がある。鳥の行く道は、人間の「道路」のように固定したものではなく、自由無礙なこと、そして跡を残さないことを意味する。
数千から数万の魚の群れの動きは、美しく神秘的で、まるで一つの巨大な生命体のようにも見える。群れには、リーダーもいなければ意思疎通もなく、となりの仲間が動くと自らも動くというような単純な規則で動いているとされている。しかし、数百匹の群れでほぼ同時に起こることの生理学的なメカニズムは謎に包まれている。そこには、人間がまだ理解していない普遍的原理の存在があるかのように感じる。何にせよ、群れによる彩色には、全体としての意思はない。人々の存在の影響を受けながら、一匹一匹がプリミティブな規則で動くことで、平面は、意図のない複雑で美しい彩色となる。
作品はコンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている。あらかじめ記録された映像を再生しているわけではない。全体として、以前の状態が複製されることなく、変容し続ける。今この瞬間の絵は二度と見ることができない。

The Way of the Sea, Flying Beyond Borders - Colors of Life

空間から、魚群が出て、この作品ははじまる。他の作品の境界を越境し、時には他の作品に影響を与えながら、縦横無尽に泳ぎ回る。人々が魚に手を近づけると、人々はそれぞれ色を持っており、その色に染まっていく。
この作品はチームラボの「鳥道」という作品のシリーズである。禅に「鳥道」という言葉がある。鳥の行く道は、人間の「道路」のように固定したものではなく、自由無礙なこと、そして跡を残さないことを意味する。
数千から数万の魚の群れの動きは、美しく神秘的で、まるで一つの巨大な生命体のようにも見える。群れには、リーダーもいなければ意思疎通もなく、となりの仲間が動くと自らも動くというような単純な規則で動いているとされている。しかし、数百匹の群れでほぼ同時に起こることの生理学的なメカニズムは謎に包まれている。そこには、人間がまだ理解していない普遍的原理の存在があるかのように感じる。何にせよ、群れによる彩色には、全体としての意思はない。人々の存在の影響を受けながら、一匹一匹がプリミティブな規則で動くことで、平面は、意図のない複雑で美しい彩色となる。
作品はコンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている。あらかじめ記録された映像を再生しているわけではない。全体として、以前の状態が複製されることなく、変容し続ける。今この瞬間の絵は二度と見ることができない。

生命は生命の力で生きている II / Life Survives by the Power of Life II

自分と環境は、不二、つまり、二つに見えるが実際は一つであり、切り離せない。分断の反対とは、統合ではなく、二つに見えるものも実際は一つであることに気が付くことかもしれない。
自然の恵みも脅威も、そして文明の恵みも脅威も、連続的で、つながっている。どこかに絶対的な悪意があるわけでもなければ、かといって綺麗ごとでもすまされない。わかりやすい解などないし、感情すら整理できないかもしれない。それでも、あらゆる状況においても“生きる”それを全部肯定したい。生命はうつくしい。

生命や生きることを意味する漢字「生」を「空書」で立体的に書いている。「空書」とは、チームラボが設立以来書き続けている空間に書く書のこと。書の墨跡が持つ、深さや速さ、力の強さのようなものを、新たな解釈で空間に立体的に再構築し、チームラボの「超主観空間」によって2次元化している。書は平面と立体との間を行き来する。

レンズや遠近法で切り取った作品空間は、ディスプレイ面の向う側に、作品空間が出現する。つまり、ディスプレイ面が境界となり、鑑賞者が存在する空間と作品空間は、分断してしまう。しかし、「超主観空間」の特徴の1つであるが、「超主観空間」で切り取ったこの作品空間は、ディスプレイ面が境界とならない。この作品空間は、ディスプレイ面を超えて、鑑賞者が存在する空間まで立体的に存在しているかのように認知される。作品空間は、鑑賞者の肉体がある空間と連続する。

来場案内

会場情報

teamLab: Continuity

会期

2021.07.23(金) - 2022.02.28(月)

時間

月曜日、金曜日、土曜日、日曜日 10:00 - 17:00
木曜日 13:00 - 20:00

2月17日から2月28日まで:
木曜日 12:00 - 21:00
金曜日 9:00 - 19:00 (ミュージアムメンバーのみ 9:00 - 10:00; 18:00 - 19:00)
土曜日 9:00 - 21:00 (ミュージアムメンバーのみ 9:00 - 10:00)
日曜日 9:00 - 18:00 (ミュージアムメンバーのみ 9:00 - 10:00)
月曜日 9:00 - 18:00 
* 当日券が限られているため、事前予約をしていただくようお願いいたします。

休み

火曜日、水曜日

アクセス

住所

サンフランシスコ・アジア美術館
200 Larkin St, San Francisco, CA

現地語での住所:

Asian Art Museum
200 Larkin St, San Francisco, CA

お問い合わせ

TEL

(+1) 415-581-3500
アーティスト
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チームラボ
アートコレクティブ。2001年から活動を開始。集団的創造によって、アート、サイエンス、テクノロジー、そして自然界の交差点を模索している国際的な学際的集団。アーティスト、プログラマ、エンジニア、CGアニメーター、数学者、建築家など、様々な分野のスペシャリストから構成されている。 チームラボは、アートによって、自分と世界との関係と新たな認識を模索したいと思っている。人は、認識するために世界を切り分けて、境界のある独立したものとして捉えてしまう。その認識の境界、そして、自分と世界との間にある境界、時間の連続性に対する認知の境界などを超えることを模索している。全ては、長い長い時の、境界のない連続性の上に危うく奇跡的に存在する。 チームラボの作品は、ビクトリア国立美術館(メルボルン)、ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館(シドニー)、南オーストラリア州立美術館(アデレード)、オーストラリア国立美術館(キャンベラ)、アモス・レックス(ヘルシンキ)、ロサンゼルス現代美術館(ロサンゼルス)、サンフランシスコ・アジア美術館(サンフランシスコ)、ボルサン・コンテンポラリー・アート・コレクション(イスタンブール)、アジア・ソサエティ(ニューヨーク)などに収蔵されている。 teamlab.art Biographical Documents teamLab is represented by Pace Gallery, Martin Browne Contemporary and Ikkan Art.
teamLab: Continuity is organized by the Asian Art Museum of San Francisco. Presentation is made possible with the generous support of Bank of America; CB2 Builders; Karla Jurvetson, M.D.; Puja and Samir Kaul; Nion McEvoy and Leslie Berriman; Diane B. Wilsey; and an anonymous donor. Additional support is provided by Ann and Paul Chen, Sakurako and William Fisher, Beverly Galloway and Chris Curtis, and the W.L.S. Spencer Foundation. This exhibition is a part of Today's Asian Voices, which is made possible with the generous support of Salle E. Yoo and Jeffrey P. Gray. Sustained support generously provided by the following endowed funds: Akiko Yamazaki and Jerry Yang Endowment Fund for Exhibitions Kao/Williams Contemporary Art Exhibitions Fund