FEATURED WORKS
Black Waves: 埋もれ失いそして生まれる / Black Waves: Lost, Immersed and Reborn
teamLab, 2019, Digital Installation, Continuous Loop, Sound: Hideaki Takahashi
1つの連続した波によるインスタレーション(波は展示空間内で一筆書きのように全て連続して繋がっている)。人々は、他者と共に作品の一部となり、溶け込んでいくことで、自分と他者との境界を連続的なものに変え、そして私たちと世界との、境界のない新しい関係を模索する。
コンピューター上の空間で、三次元上の水の動きをシミュレーションし波を構築している。水は、無数の水の粒子の連続体で表現し、粒子間の相互作用を計算している。そして、水の粒子の挙動で線を描き、三次元上の波の表層に線を描いている。そして、立体的に描かれた線の集合を、チームラボが考える「超主観空間」によって平面化し映像作品にしている。
前近代の日本の絵画では、川や海など水は、線の集合として表現されることが多い。そして、その線の集合はまるで生き物かのようにどこか生命感を感じる。前近代の人々らには、実際、古典的な日本の絵画(川や海などで言うならば、まるで生き物のように見える線の集合)のように、世界が見えていたのではないだろうか。
「なぜ、前近代の人々が川や海そのものに生命を感じていたかのようなふるまいをしていたのか?」、そして、「なぜ、彼ら自身も自然の一部であるかのようなふるまいをしていたのか?」という疑問へのヒントが、それらの絵画表現の中にあるように感じる。
もし、ビデオカメラで切り取った本物の波よりも、本作の波の方に、より鑑賞者と作品世界との間に境界線がなくなるような、作品世界に入り込むような感覚、もっと大胆に言えば、その線の集合にすら生命体だと感じ、まるで鑑賞者が波に憑依するかのような体験をするならば、前近代的な日本の「世界の見え方」と、そこから発生する「世界に対するふるまい」とのつながりが見えてくる。
自然とは観察の対象ではなく、「自分自身も自然の一部である」と考えていたかのようなふるまいは、単に、かつての人々の見え方が、川や海のような自然の一部を生命体のように見せ、自然の一部にすら憑依させてしまいやすい見え方だったからではないだろうか。つまり、自然と自分との境界がないような感覚になりやすい見え方だったからではないだろうかと思うのだ。
teamLab, 2014-, Interactive Digital Installation, Endless, Sound: Hideaki Takahashi
花々は、移り変わっていく季節に合わせて、生まれる場所がゆっくりと移り変わっていく。
花々は生まれ、成長し、つぼみをつけ、花を咲かせ、やがて散り、枯れて、死んでいく。つまり、花は誕生と死滅を、永遠に繰り返し続ける。 人々がじっとしていれば、その付近の花々は普段より多く生まれ、咲き渡る。人々が花にふれたり、踏むと、いっせいに散って死んでいく。
時に、他の作品の境界を越え、他の空間に咲きわたるが、他の作品の影響で散ったり、死滅したりする。
春、国東半島の里山に訪れた際、山の中の桜やふもとの菜の花を見ているうちに、どこまでが人が植えたものなのか、どこまでが自生している花々なのか疑問に思った。そこは多くの花に溢れ、非常に心地よい場所だった。そして、その自然が、人の営みの影響を受けた生態系であることを感じさせる。どこまでが自然で、どこからが人為的なのか、境界が極めてあいまいなのだ。つまり、自然と人間は対立した概念ではなく、心地良い自然とは、人の営みも含んだ生態系なのであろう。そして、近代とは違った、自然に対して、人間が把握したり、コントロールしたりできないという前提の自然のルールに寄り添った人の長い営みこそが、この心地良い自然をつくったのではないだろうか。その谷間の人里には、以前の自然と人との関係が、ほのかに残っているように感じられ、コントロールできないという前提の下での、自然への人為とはどのようなものなのか、模索したいと思う。
teamLab, 2019, Interactive Digital Installation, Sound: Hideaki Takahashi
空間は、光のovoid(卵形体)によって立体的に埋め尽くされている。人々はovoidをかき分け、空間の中に入っていく。
人々は、空間を、曖昧な色で光るovoidの群によって立体的に認識したり、単色に満たされることによって平面的に認識したりと、立体と平面とを行き来しながら、立体と平面に身体ごと埋没していく。
光のovoidは、人に叩かれ衝撃を受けると、色を変化させ、色特有の音色を響かせる。そのまわりのovoidは、近くのovoidから、放射状に連続的に呼応し、同じ色になり同じ音色を響かせていく。
各ovoidが自由に移動し、どこにあったとしても、空間全体としての光のふるまいは維持される。そのため、集団としてふるまう光は、ひとつの立体的な存在とも言える。今回は、衝撃を受けたovoidを中心として、球状に光が広がっていく。人々は、光の立体的な存在として認識しつつ、ovoidをかき分け、その立体的存在の中に入っていく。
ovoidは、光だからこそ発色できる曖昧な9色(水の中の光、水草のこもれび、朝焼け、朝空、たそがれ時の空、桃の実、梅の実、花菖蒲、春もみじ)と、空間を平面化する3色(青、赤、緑)の計12色の色に変化していく。
グラフィティネイチャー: 埋もれ失いそして生まれる / Graffiti Nature: Lost, Immersed and Reborn
teamLab, 2018, Interactive Digital Installation, Sound: Hideaki Takahashi
みんなが描いた様々な生き物たちが、生息している。紙に生き物の絵を描くと、描いた絵に命が吹き込まれ、目の前に現れて動き出す。
生き物たちは、他の生き物を食べたり、他の生き物に食べられたりしながら、共に1つの生態系を作っている。
あなたが描いて生まれた生き物は、他の生き物を食べると増えていく。逆に、しばらく他の生き物を食べられないと死んでいなくなる。また、他の生き物に食べられるといなくなる。
ワニはヘビを食べ、ヘビはトカゲを食べ、トカゲはカエルを食べ、カエルは蝶を食べそれぞれ増えていく。また、蝶は、花が咲いている場所で増えていく。
花は、人々がじっとしているとその場にたくさん咲いていく。逆に、人々が踏んで歩き回ると散ってしまう。そして、ワニは、人にたくさん踏まれると死んでしまう。
人々は、他者と共に作品の一部となり、溶け込んでいくことで、自分と他者との境界を連続的なものに変え、そして私たちと世界との、境界のない新しい関係を模索する。
呼応するたちつづけるものたち、埋もれ失いそして連続していく / Resisting and Resonating Ovoids: Lost, Immersed and Continuous
teamLab, 2018, Interactive Installation, Endless, Sound: Hideaki Takahashi
空間は、様々な大きさの立ち続ける物体によって埋め尽くされている。人々は物体をかき分け、空間の中に入っていく。
立ち続ける物体は、人々がかき分けたり、叩いたりして衝撃を受けると、色を変化させ、色特有の音色を響かせる。そのまわりの物体は、近くの物体から連続的に呼応し、同じ色になり同じ音色を響かせていく。
向こうの方から光が押し寄せてくれば、向こうに人がいることを意味する。人々はきっと、同じ空間にいる他の人々の存在を普段より意識する。