ニューメディア・アートによる代替現実
デジタルイノベーションは進化を続けており、それを技術革命が支えている。ビデオ・アートやデジタル・アートは表現方法として受け入れられつつあるが、それらは氷山の一角にすぎない。シンガポールのイッカン・ギャラリーで10月27日まで開催された展覧会「エクスペリエンス・マシーン」によって、この事実はさらに明らかなものとなった。この展覧会は9人の国際的なアーティストの過去13年のニューメディア・アートの作品を展示したものだ。タンジョン・パガ-にあるイッカン・ギャラリーを訪ねた際、鑑賞者参加型の超現実主義の作品に、私は驚いたと同時に圧倒させられた。この独創的で魅惑的な作品は、東京を拠点とし、代表として猪子寿之(1997年 – )を置くチームラボによって制作された。「世界はこんなにもやさしく、うつくしい」は、チームラボの様々な国から来た各分野のバックグラウンドを持つメンバーが、書家である紫舟とコラボレーションした作品だ。紫舟は、日本の漢字による「書」で、感情的かつ視覚的な力を追求している。インタラクティブな作品はすでに珍しいものではないが、このインスタレーション作品が他の作品と異なるのは、鑑賞者がそれぞれの自己世界へと誘われ、まるで自分がある種の表現者になったように感じることにある。この作品空間の中に入ると、最初はまるで地球がまだ創造されていないかのように真っ暗である。そして囲まれた四方の壁の上に漢字が降り注ぎ、鑑賞者の手の影が映像に加わる。花という字に触れると、あたり一面は花でいっぱいになる。鳥という字と木という字に同時に触れた場合、たちまち鳥達が一斉に空を飛び立ち、浮かび上がる木の枝を埋め尽くす。風という字を触ると、画面上のすべてのものが吹き飛ばされ、その漢字自体もどこかに行ってしまう。蝶と花という字を同時に触ると、蝶は花を自動的に探しだす。比較的最近ニューヨークからシンガポールのこの美術館に赴任してきた支配人・真田一貫によれば、これらの漢字にはそれぞれ知能がプログラムされているのだという。漢字が降り注ぐ前の、月明かりに照らされたドラマチックな夜の暗い風景の中に立っていた時、私はまるで自分が創世記の中の天地創造を体験しているように感じた。天地創造との自明な違いは、触れたり人間の影を認識することで発生する映像は、どれもごく短命で、他の漢字に触れるとすぐ消えてしまうことだ。これはもしかしたら物事のはかなさや非永続性にヒントを得ているのかもしれない。また同じように、映像を表示するために人間の手が必要なことは、自然環境の保全には人間の手が不可欠であることを表しているのかもしれない。2012年春季のヨーロッパ最大規模のヴァーチャルリアリティ美術展覧会であるラヴァル・ヴァーチャル(Laval Virtual)の国際コンテスト、レヴォリューション(ReVolution)において、この作品は建築・芸術・文化賞(Architecture, Art & Culture Award )を獲得した。また、この展覧会で、チームラボは他にも西洋美術とは異なる東洋美術の世界観を紹介する作品を展示している。「花と屍 剝落」のアニメーションは、2次元の日本画を3次元のCG映像で再現したものだ。チームラボによれば、伝統的な日本美術は定まった焦点を持たず、主観と客観が曖昧になっており、これは西洋絵画が一貫した視点を持ち、幾何学的要素や客観性を重要視していることと一線を画すのだという。