超主観空間とデジタルアート / Ultra Subjective Space and Digital Art

「超主観空間」は、デジタルアートの、作品に参加し体感すること、つまり作品が人々のふるまいによって自由に変化することや、人々が空間の中を自由に歩き回りながら作品を体感することに対して、大きな可能性を持つ。
鑑賞者は、一点にじっと立ち止まって作品を鑑賞する必要もなければ、鑑賞している時にとなりの人を邪魔だと思う必要もない。そしてアートは、その魅力を維持したまま人びとの参加によって変化することもできる。鑑賞者もアート自体もより自由になれる。
同様にすべての文化圏でも、近代になってから捨てられた古来の文化的知が、新しい社会において想像をもしないような形で花開く可能性があるのだ。

「空間適応性」と「折ったり、分割したり、つなげたり」

屏風やふすま絵のように「超主観空間」によって平面化された作品空間は、平面を“折ったり・分割したり”しても、不自然にならない。それは、デジタルによる作品の「空間適応性」と極めて相性が良い。それは“折ったり・分割したり”することによって、平面を実際の鑑賞者がいる現実空間に再構築し、新たな作品空間を自由に創ることができるからである。

巨大空間と、視点の移動

西洋の遠近法による平面は、鑑賞する場所が、鑑賞者にとって固定的な一カ所のベストポジションが設定されている。しかし「超主観空間」による平面は、鑑賞する場所が限定されず、視点の移動が自由になる。つまり、鑑賞者は縦横無尽に好きな場所から絵を見ることができるのだ。デジタルの「拡大性」と「空間適応性」によって、デジタルアートは容易に、巨大空間になる。従来の絵画は、鑑賞者が一カ所に立ち止まって見るものであった。しかし「超主観空間」による平面の場合、鑑賞者は巨大なアート空間の中を自由に歩き回りながら、作品を鑑賞することができる。

現実空間と作品空間を自由に行き来する

「超主観空間」の平面は、客観的に絵を見ながら、絵の中に入り込めるという論理的な特徴を持っている。そのため、デジタルにより巨大な空間となった「超主観空間」の作品で、鑑賞者は現実空間を認識したまま、まるで作品空間の中を歩いているかのような体験をすることができる。

すべての鑑賞者が自分を中心に作品に「参加」する

「超主観空間」による平面は“限定された視点を持たない・消失点がない”ため、投影面やその焦点距離といった概念がない。そのため、巨大な作品であったとしても、どこからでも“鑑賞者中心に作品を体験”することができる。そして、作品が“インタラクティブ”(双方向的)であったとき、鑑賞者が中心となって作品を変化させることと相性が良い。 つまり、すべての鑑賞者が優越なく作品へ参加し、自分中心に、自分とまわりの人の影響を受けた作品を鑑賞することができるのだ。