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Featured on 美術, 2021年8月7日

京都・東寺を舞台に「チームラボ 東寺 光の祭 -TOKIOインカラミ」が開幕。音と光で世界遺産がアートスポットに

今回のプロジェクトの舞台となる東寺は、創建から1200年を経た日本一の木造塔である国宝・五重塔を擁し、空海によって真言密教の根本道場となった真言宗の総本山だ。今回のプロジェクトでチームラボは、この伝統的な寺院の姿をそのままにアートの舞台とすることを試みた。 (本文抜粋)

Featured on HYPEBEAST, 2021/06/25

teamLab 最新舊金山 Asian Art 美術館大型個展即將開催

全球聞名的光影藝術團隊 teamLab 繼登場火焰為題的「Universe of Fire Particles Falling from the Sky」與 「Universe of Fire Particles」全新作品後,今番便是宣佈登陸位於美國舊金山的 Asian Art 美術館,並選定於 8,500 平方英尺的場域中展出名為「teamLab:Continuity」的沈浸式體驗作品,群眾亦可敞洋於大自然與東亞藝術中鬱鬱蔥蔥的螢光花卉、蝴蝶、魚等極富生命力的燈光中,完全置身在無縫流動奇妙的生態系統,同時 teamLab 創始人 Toshiyuki Inoko 也鼓勵群眾去意識:「一切都存在於漫長、脆弱但奇蹟般的無邊界生命延續中。」(文字摘錄)

Featured on YAHOO!JAPAN ニュース, 2019/10/21

マカオにチームラボの新ミュージアム開設へ…大型IRヴェネチアン内、2020年1月オープン予定

マカオのカジノIR(統合型リゾート)運営大手でコタイ地区にIR施設群「サンズリゾートマカオ」を展開するサンズチャイナ社は10月21日、日本のウルトラテクノロジスト集団「チームラボ」と共同で新たな常設型の大規模ミュージアムを開設すると発表。(本文抜粋)

Featured on YAHOO!JAPAN ニュース, 2019年11月15日

マカオ、チームラボの常設インタラクティブ体験施設の名称が「チームラボ スーパーネイチャー」に決定…大型IRヴェネチアン内に2020年2月正式オープン予定

マカオのカジノIR(統合型リゾート)運営大手でコタイ地区にIR施設群「サンズリゾートマカオ」を展開するサンズチャイナと日本のウルトラテクノロジスト集団「チームラボ」は11月15日、サンズリゾートマカオを構成する大型IR「ヴェネチアンマカオ」に新規オープン予定の常設型インタラクティブ体験施設の名称が「チームラボ スーパーネイチャー」に決まったと発表。(本文抜粋)

Featured on 日経doors, 2019年6月5日

最先端か伝統か? 対極にあるミュージアムカフェで寛ぐ デジタル空間で没入感を体験するもよし、しっとりした和の空間を味わうもよし

「森ビルデジタルアートミュージアム:エプソン チームラボボーダレス」(東京都江東区)が話題です。来場者数が100万人を突破(2018年11月28日時点)した後も増え続けているこのデジタルアートミュージアム。来場者には外国人が多く、ここが日本であるということを忘れてしまいそう。(本文抜粋)

Featured on Kyodo Weekly, 2019年4月29日

ART探訪 チームラボ 世界は暗闇からはじまるが、それでもやさしくうつくしい

見る者を作品に没入させ、参加、融合させ、作品と作品、自己と他者の境界があいまいになる体験、そしてその場自体が、アート集団「チームラボ」の表現である。本展ではチームラボのアーティストが厳選した三つの作品に加え、美術表現の原理を体現するモニター作品「世界は、統合されつつ、分割燃され、繰り返しつつ、いつも違う」を組み合わせることによって、「今、ここ」でしか体験できない場を創出する。(本文抜粋)

Featured on MdN DESIGN INTERACTIVE, 2019年4月22日

姫路市制130周年などを記念して姫路市立美術館でチームラボの作品展示がスタート

2019年4月20日(土)から6月16日(日)まで、姫路市立美術館にて「チームラボ 世界は暗闇からはじまるが、それでもやさしくうつくしい」が開催されている。姫路市制130周年、神戸新聞播磨製作センター完成、サンテレビ開局50周年、姫路市立美術館リニューアルオープンを記念して催される展覧会。厳選されたプロジェクション作品に加え、チームラボの美術表現の原理を体現するモニター作品「世界は、統合されつつ、分割もされ、繰り返しつつ、いつも違う」を組み合わせることで、“今、ここでしか体験できない場”が生み出されている。(本文抜粋)

Featured on Kyotopi, Aug 25, 2018

【チームラボ】2018年も開催!下鴨神社 糺の森の光の祭 Art by teamLab - TOKIO インカラミ

夕涼みが楽しくなる夏の終わり。数多く存在する神社の中でもとくに長い歴史を誇り、世界遺産でもある下鴨神社とその前に広がる糺の森で、幻想的な光の祭が開催されます。手掛けるのはアート集団のチームラボ。京都を舞台に新たな伝統行事が誕生しようとしています。(Excerpt from the text)

Featured on gunosy, Aug 25, 2018

【チームラボ】2018年も開催!下鴨神社 糺の森の光の祭 Art by teamLab - TOKIO インカラミ

夕涼みが楽しくなる夏の終わり。数多く存在する神社の中でもとくに長い歴史を誇り、世界遺産でもある下鴨神社とその前に広がる糺の森で、幻想的な光の祭が開催されます。手掛けるのはアート集団のチームラボ。京都を舞台に新たな伝統行事が誕生しようとしています。(Excerpt from the text)

Featured on Liberty Times Net, Jan 29, 2018

這間博物館沒展品! 東京將設立「純數位」博物館

這間博物館沒展品! 東京將設立「純數位」博物館 〔即時新聞/綜合報導〕泡麵博物館、冰淇淋博物館、失戀博物館這些都不是最新奇,日本東京預計於今夏將有「純數位博物館」登場,與其他博物館截然不同,突破傳統博物館展示展品的限制,將用互動式的數位藝術,讓觀展者不只欣賞藝術,更成為藝術的一部分。(Excerpt from the text)

Featured on 日テレNEWS24, Nov 28, 2017

「チームラボ」中国の世界遺産・故宮で展示

中国の世界遺産「故宮」で伝統文化とテクノロジーをテーマにしたフォーラムが開かれ、日本のデジタルアート集団・チームラボの作品も展示されている。 伝統文化とテクノロジーの関わりを話し合うフォーラムが北京の故宮で開幕した。会場では、3D技術で作品をあらゆる角度から鑑賞できるソフトなどの最新技術も紹介されている。(Excerpt from the text)

Featured on 葛飾北斎 江戸から世界を魅了した画狂, Sep 13, 2017

デジタルテクノロジーが再発見する、北斎の先駆性

デジタルテクノロジーが再発見する、北斎の先駆性 日本の伝統的な美意識とデジタルテクノロジーを融合させたアート表現で、今や世界にその名を轟かせるチームラボ。波を表した最新映像作《Black Waves》は、豪快な波飛沫や線描のうねりが北斎の《神奈川沖浪裏》を想起させる。(Excerpt from the text)

Featured on 西日本新聞, Aug 21, 2017

伝統の庭に光のアート 武雄「あかり展」3年目

デジタル映像技術を駆使して佐賀県武雄市内の庭園や名所旧跡をライトアップする「武雄のあかり展」が開かれている。3年目の今年は会場が6カ所に増え、光の技もスケールアップ。市観光協会によると、昨年は約5万人が訪れ、夏の風物詩として徐々に浸透している。(Excerpt from the text)

Featured on straight, May 10, 2017

新しいものと古いものが痕跡に反映されたアジアの文化

中村芙蓉が言葉の痕跡の背後にあるアイデアを説明するとき、話し言葉のような言葉を構想し、空気中に簡単に浮かべて、煙のように消えていくことが可能です。あるいは、おそらく、消えずに書面でしばらくの間保存してください。「私は言葉の使用理由トレースをタイトルには、私が口頭伝統と書き言葉との間の接続を作りたかったということです」と中村、MOAの学芸員、アジア氏は述べています。「アジアの書かれた多くの文化は、他の文章と同様に、口頭で伝承されています。あなたがイスラム教を考えるなら、クルアーンは最初に話されました。その後、メッセージを伝えるために言葉が書かれました。同様に、サンスクリット語も強い口頭伝統文化のものでした。(Excerpt from the text)

Featured on 方間治所, Mar 10, 2017

因為你眼中的世界不一樣,所以這世界有你在真好 – teamlab的存在美學

傳統日本美術被視為一種平面的藝術,但team lab認為,現代人可以利用新的繪畫的透視來認知到空間;透過許多新手法觀賞美術的時候,我們可以一邊觀賞著繪畫,並且讓自我的主體也一併進入繪畫世界當中,創造以「觀賞者為中心」來反轉藝術欣賞的賓主關係,模糊掉我們與展品之間的界線。(本文抜粋)

Featured on @niftyニュース, 2017年2月28日

猪子寿之「正しいことは時代や場所によって一変する」

「展覧会はロンドンと台湾、シンガポールでやる! 7月に東京でも!」「チームラボ」代表の猪子寿之さんは、どこまでもフランクだ。日本の伝統文化に寄り添いながら、最新のテクノロジーを用いた表現でアートを再構築。その活動は世界的な評価を得ている。そんな人に失敗を問うと、「いろいろあるよ!」。(本文抜粋)

Featured on R25 PRODUCED BY RECRUIT, Feb 28, 2017

猪子寿之「正しいことは時代や場所によって一変する」

展覧会はロンドンと台湾、シンガポールでやる! 7月に東京でも!」「チームラボ」代表の猪子寿之さんは、どこまでもフランクだ。日本の伝統文化に寄り添いながら、最新のテクノロジーを用いた表現でアートを再構築。その活動は世界的な評価を得ている。そんな人に失敗を問うと、「いろいろあるよ!」。(Excerpt from the text)

Featured on RETRIP, 2016年11月3日

チームラボの展示も!高知で「高橋コレクションマインドフルネス!2016」開催

チームラボの展示も!高知で「高橋コレクションマインドフルネス!2016」開催高知県立美術館(高知県)にて「高橋コレクション マインドフルネス!2016」が開催されます。チームラボの「世界は、統合されつつ、分割もされ、繰り返しつつ、いつも違う」を展示するんだとか。期間は2016年11月3日(木・祝) ~ 2017年1月22日(日)までです。(Excerpt from the text)

Featured on 日経MJ, Feb 24, 2016

デジタル・伝統、空間彩る-パリ見本市で日本勢存在感

1月下旬、パリで開かれた世界最大級のインテリア見本市の「メゾン・エ・オブジェ・パリ」。日本からの出展企業が一等地にブースを構え最新のデジタル技術を駆使した映像から職人技が光る伝統工芸まで、幅広い表現力で魅了した。(Excerpt from the text)

Featured on Jakarta Post, Oct 18, 2012

ニューメディア・アートによる代替現実

デジタルイノベーションは進化を続けており、それを技術革命が支えている。ビデオ・アートやデジタル・アートは表現方法として受け入れられつつあるが、それらは氷山の一角にすぎない。シンガポールのイッカン・ギャラリーで10月27日まで開催された展覧会「エクスペリエンス・マシーン」によって、この事実はさらに明らかなものとなった。この展覧会は9人の国際的なアーティストの過去13年のニューメディア・アートの作品を展示したものだ。タンジョン・パガ-にあるイッカン・ギャラリーを訪ねた際、鑑賞者参加型の超現実主義の作品に、私は驚いたと同時に圧倒させられた。この独創的で魅惑的な作品は、東京を拠点とし、代表として猪子寿之(1997年 – )を置くチームラボによって制作された。「世界はこんなにもやさしく、うつくしい」は、チームラボの様々な国から来た各分野のバックグラウンドを持つメンバーが、書家である紫舟とコラボレーションした作品だ。紫舟は、日本の漢字による「書」で、感情的かつ視覚的な力を追求している。インタラクティブな作品はすでに珍しいものではないが、このインスタレーション作品が他の作品と異なるのは、鑑賞者がそれぞれの自己世界へと誘われ、まるで自分がある種の表現者になったように感じることにある。この作品空間の中に入ると、最初はまるで地球がまだ創造されていないかのように真っ暗である。そして囲まれた四方の壁の上に漢字が降り注ぎ、鑑賞者の手の影が映像に加わる。花という字に触れると、あたり一面は花でいっぱいになる。鳥という字と木という字に同時に触れた場合、たちまち鳥達が一斉に空を飛び立ち、浮かび上がる木の枝を埋め尽くす。風という字を触ると、画面上のすべてのものが吹き飛ばされ、その漢字自体もどこかに行ってしまう。蝶と花という字を同時に触ると、蝶は花を自動的に探しだす。比較的最近ニューヨークからシンガポールのこの美術館に赴任してきた支配人・真田一貫によれば、これらの漢字にはそれぞれ知能がプログラムされているのだという。漢字が降り注ぐ前の、月明かりに照らされたドラマチックな夜の暗い風景の中に立っていた時、私はまるで自分が創世記の中の天地創造を体験しているように感じた。天地創造との自明な違いは、触れたり人間の影を認識することで発生する映像は、どれもごく短命で、他の漢字に触れるとすぐ消えてしまうことだ。これはもしかしたら物事のはかなさや非永続性にヒントを得ているのかもしれない。また同じように、映像を表示するために人間の手が必要なことは、自然環境の保全には人間の手が不可欠であることを表しているのかもしれない。2012年春季のヨーロッパ最大規模のヴァーチャルリアリティ美術展覧会であるラヴァル・ヴァーチャル(Laval Virtual)の国際コンテスト、レヴォリューション(ReVolution)において、この作品は建築・芸術・文化賞(Architecture, Art & Culture Award )を獲得した。また、この展覧会で、チームラボは他にも西洋美術とは異なる東洋美術の世界観を紹介する作品を展示している。「花と屍 剝落」のアニメーションは、2次元の日本画を3次元のCG映像で再現したものだ。チームラボによれば、伝統的な日本美術は定まった焦点を持たず、主観と客観が曖昧になっており、これは西洋絵画が一貫した視点を持ち、幾何学的要素や客観性を重要視していることと一線を画すのだという。

Featured on The Straits Times, Sep 28, 2012

この展示会を1時間で回るなら、この作品を見てほしい

シンガポール最大級の新聞「The Straits Times」にて、イッカン・アート・ギャラリーの「エクスペリエンス・マシーン」展と共に、チームラボ「花と屍 剝落」と、紫舟+チームラボ「世界はこんなにもやさしく、うつくしい」が紹介されました。この展示会を1時間で見るならこの作品が良い、と8作品を選抜した内容で、チームラボの2作品が両方紹介されています。以下、作品紹介を抜粋。花と屍 剝落By teamLab, animation日本企業のチームラボは、コンピューターアニメーションで日本の伝統的な絵画を描いた。自然、市民の衝突、そしてその繰り返しや共生をテーマにしている。時間の経過と共にアニメーションの表面が剥落し、その下の3D構造が見えるようになっている。アジアの伝統的な描写法は、中国では「duhua」、日本では「なりきり」というコンセプトに基づいている。この作品を観察することにより、別世界を体験することができるだろう。世界はこんなにもやさしく、うつくしいBy Sisyu+teamLab, interactive animation installationこのインタラクティブアニメーションインスタレーションは、書家・紫舟とチームラボの共同作品である。暗い環境の中でモーションセンサーを使い、観客が実際に触れて体験できるようになっている。漢字が壁からゆっくり現れ、人の影が触れるとその漢字がアニメーションするようになっている。このダイナミックな作品は、人々と相互作用することで終わりのない新しい世界を表現している。

Featured on Roppongi Future Talks, Sep 19, 2012

How would you turn Roppongi into an area of Design & Art?

採訪當天,超過約定時間很久也仍未出現,多方詢問後打探到採訪地點,也不易找到。“一旦進入六本木的大廈一定會迷失方向…”這人正是豬子壽之,目前他是新時代數位藝術的領軍人物,備受世人矚目。他在2001年就讀東京大學時,創立了以日本重生為目的的超級科學技術者集團—團體實驗室。他在不斷挑戰著從數位領域孕育而出的新表現方式。豬子先生經常思考著日本文化的價值是什麼以及在網路化社會中具有衝擊力的東西是什麼。那麼,他的六本木未來構想是怎麼樣的呢。 ・是縱觀日本,還是縱觀世界。 當談到“設計和藝術之街”時,是縱觀日本,還是縱觀世界呢?其實,以其中任何一種方式,結果都會全然不同。如果縱觀日本,會認為六本木已是現今一定程度的“設計和藝術之街”,今後若朝著現在的方向發展,將來必定會更勝一籌。但若是縱觀世界,想必你想起的“設計和藝術之街”一定不會是六本木。至少現在你會這麼認為。 現今,在六本木談到的設計或藝術與在紐約談到的設計和藝術是同一種事物。如果和紐約相同,那麼並未更勝一籌。紐約從很久以前就擁有這樣的環境,而位於六本木的代表作品就能匹敵在紐約深受好評的作品嗎? 不就是通過20世紀所形成的價值觀進行評價,選擇完成的作品後,而進行的改正方式? 通過這種傳統方式來縱觀世界,恐怕會讓人覺得六本木永遠無法成為“設計和藝術之街”。 ・成為新文化的容器。 所以,若想在世界範圍內,將六本木打造成“設計和藝術之街”, 那麼,即使現在沒有確定它的價值,但在將來它必定會成為最具價值的事物;盡管連風格都沒有確定,它必將成為絕無僅有的新文化的容器。 例如,在當今網路中大家都在查閱信息或暢游網絡,但仍會出現一些不知稱為何物的東西吧。那種東西,大概在威尼斯雙年展(現代美術的國際美術展覽會)中也無法叫出名字,而且也不會出現在米蘭國際家具展(國際家具商品展覽會/世界最大規模的設計活動)中。但實際上,大家都會對這種不知稱為何物的東西抱有興趣,這種東西是在現實中存在的,我想那就是未來的事物。當六本木變為這種東西的容器時,就會在10年至20年後,成為具有“創造城市”意義的代表性街道。 ・威尼斯、米蘭、林茲 威尼斯美術展從100多年前就作為現代藝術的容器、舉辦至今。而米蘭家具國際展則從50多年前就作為設計的容器舉辦至今。在澳大利亞的林茲舉辦的媒體藝術活動――奧地利電子藝術節也有30多年的歷史。 奧地利電子藝術節在1979年開始舉辦時,我認為是個非常適合的領域。就像媒體藝術這個詞發揮了它的作用一樣。那還是電腦處在類似台式電子計算機的時代。科技並非藝術的主流,但最終會引領未來,因此也會成為該領域的代表性活動,並成為代表性街道。如果現在的橫濱和大阪想要成為創造城市,現在還有意見說要邀請奧地利電子藝術節。但即使現在在橫濱或大阪舉辦,也未必會更勝一籌。這是毫不置疑的。 ・只有數位領域所具有的表現 我想當今社會中會有很多可能成為新文化的“還不知稱為何物的東西”,但自己偶然對網路化社會抱有興趣;我想不僅設計和藝術,連類似數位領域的東西也會成為社會的新價值的核心。我想在網路化才具有的表現或者數位領域才具有的表現中,是有那可能性的。 是否符合六本木先暫且不談,就像“初音未來”這種東西,是以網路和數位表現作為核心而制作出的代表性元素。它處在我們自身的文化背景之中,也在實際中受到大家的喜歡,所以我認為那就是新的創新領域。然而,那究竟是什麼?或者說是音樂的某種風格?令人琢磨不透,談到藝術,越是與藝術有關,就越沒有必要執著地寫出概念。 ・概念等出乎意料的脆弱。 總之,不知是設計還是藝術的領域會變得有趣起來,而概念等卻出乎意料的脆弱。無論它是娛樂、設計還是藝術,總之是什麼都好,只要是不符合“某種含義”的事物,並會讓人感到它的新鮮,就會在網路成為話題,也許會在後年成為極其普通的事物。其速度和變化真的很強烈。 六本木要想成為這樣的新文化和創意的基地,所需的是強大的意志,對於未來的堅定信念,因為要考慮到10年、20年後,有意識地成為這樣的基地。這是意志,也可稱為勇氣。挑選已經在世界上獲得評價的東西不需要勇氣,只要有錢就可以收集。但是挑選尚未被估價的東西相當難。另外還需要強大的戰略,在世界上獲得成功的戰略。不然搞成一個沒意思的紐約仿制品。 ・從世界看創意城市秋葉原 現在日本接受新文化的基地之首要數秋葉原地區,有絕對的優勢。秋葉原只是單純有“寬容與自由”。大概也因為交通的方便便宜,秋葉原迅猛改容,不斷變遷而成為今天的面貌。 戰後從黑市起家,在人們快要實現自由通訊之時,出售作為新的媒介的收音機零件的“收音機會館”誕生了,因而一舉成為世界上屈指可數的無線電街。之後又演變成家庭電器等的電子產品街,然後是電腦街,再後來成為數位內容街。就是所謂的二維內容吧。這也一口氣衰退下去,接著發展成女僕街。算是2.5維吧。接下來是偶像街。即使如此演變,收音機會館尚存,仍被街人愛戴。也就是說,所有的變遷都受到肯定。 變遷得到肯定,有了集聚,保障了自由和寬容。正因此,新的文化此起彼伏地誕生。秋葉原是世界上最為人所知的日本的都市,正是世界上有目共睹的創意城市。和六本木相比,世上想知道秋葉原流行什么的人佔絕對多數。這是事實。 ・寬容與自由 – 我喜歡的都市的共同點 秋葉原是我居住的地方,不用說是我最喜歡的都市之一。說起別的城市,我還喜歡曼谷。我想,如果去曼谷,誰都會喜歡上這個城市。和剛才說的秋葉原的話相似,這城市極其寬容,即寬容又自由。並且,有豐富的文化。即使進入一個普通的不起眼的店舖,都能看到水平很高的藝術畫,很有味道。 日本和泰國是亞洲唯一沒有成為歐美殖民地的國家。日本戰敗了,而泰國連戰敗都沒有。所以,泰國也許是受歐美的思想和價值概念的影響最少的國家。大概也是最多保留了亞洲自己的美好而不同於歐美的價值觀的國家。在曼谷,會感覺到亞洲其實特別美好。 ・富有理性的微笑之國? 日本在明治維新之後,大部分受到好評的東西都歐美化了。但像初音未來這樣的受大眾喜愛的文化和潮流還是源源不斷。從這個意義上來説,泰國的獨創性和創作水平非常高。比如說漫畫家Wisut Ponnimit,我想即使不知道他的名字大概也看過他的作品。 還想講一個有意思的一點,就是在泰國發火是很尷尬的事情,被認為愚蠢,愚蠢到家。我個人認為發火作為交流的一個手段是有必要的,但泰國人不生氣。代替生氣怎麼辦呢,轉身走人。 的確,真發火,人際關係就搞壞了。發一個小時的火,之後人際關係壞了,那發火的一個小時不就白費了。這個說法很有道理。泰國被稱為微笑之國,是因為在生氣之前就走人了,所以好像看人們總是在笑(笑)。 ・別跳舞是什麼意思? 對了,我希望六本木能努力改善一個問題,就是希望更能夠與娛樂業法對跳舞的限制作抗爭。現在去俱樂部,就會看到廁所裡寫著奇怪的“本店禁止跳任何舞蹈”。陳舊的娛樂業法也許包含了對“讓客人跳舞及飲食的營業”方式的限制,但如今的時代還施行此法,禁止跳舞。一抬腳就要被抓起來,這是出於什麼動機?一個人限制別人跳舞,實在太奇怪了吧。 六本木集聚的,在談設計和藝術之前,應該說是俱樂部或者音樂廳的文化吧。憑什麼說,可以否認這個說法? 我很想知道。

Featured on art plus, July 5, 2012

アートとテクノロジーを融合した藝術超未来

展覧作品はあらゆる分野のエキスパートを網羅しているチームラボ(teamLab)によるもので、情報社会におけるプロを集めたチームである。メンバーはプログラマー、エンジニア、建築家、Webデザイナー、グラフィックデザイナー、CGアニメーター、編集者、数学家及び芸術家などから構成される。各人自らの専門領域で才能を発揮して、またメンバー同士互いに融合したり、統合したりして現代社会型の藝術を創作している。藝術と商業が融合するとき、無限のビジネスチャンスや楽しみをもたらし、それは「電脳喫茶」という作品を見れば理解できる。それはゲームの世界のメイド喫茶をイメージしたもので、30組の天井から吊るし下げられているランプとスプリングベッドを媒体として互いにコミュニケーションが取れ、壁には多くのディスプレイが埋め込められていて、それは30万もの文字(単語)から構成されている。その中にはメイドの最新擬態語も含まれている。そしてデジタルメイドはレストランの状況により声を発する。吊るし下げられているランプを本物のメイドが叩きにいけば、デジタルメイドは様々な方法で手を打ち音ならす。それはランプがパソコンと連動しており、またスプリングベッド上での動きもデジタルメイドは反応する。店の中の舞台で本物のメイドが踊っていると、デジタルのメイドも連動して一緒に踊る。そうしてこの空間はデジタルとリアルが双方向的に連結し、人々に無限の楽しみをもたらし科学性を見せつける。未来では人々が買い物をしているときにも利便性をもたらしてくれる。ハンガーに架けられた衣服を手に取った時、ディスプレイにはモデルが試着している映像が出現し、極めて独特な相互体験を形成している。購買時により多くのエンターテイメント性や可能性を秘めることが出来る。 これは早乙女太一が自身の陰と剣で戦う芝居である。ライト効果のもと、陰と人物が対戦するときより一層際立ち、独特な感じがする。またこれは全米スーパーモデルショーの中でも使われている。ラストショーのとき、モデルが歩くTの字の舞台がまさにそれである。モデルが自身の陰と剣舞するように設計されている。ここでも(早乙女太一)がファッション業界に新しいトレンドと無限のビジネスチャンスをもたらしたことが分かり、またこの中には動態藝術と武術文化が融合したものも含まれている。 藝術と科学が結合するときはどうか?「teamLabBody」は人体の関節の三次元的動作を分析した、世界で初めての人体解剖のサイトである。生々しい3Dの立体動画は、我々に人体の構造における細部を観察可能にし、小さいものは筋肉の緊縮までも観察することが可能である。またその中には全身の骨格や血管、神経や関節を可視化させ、人体運動および筋肉の状態を3D立体映像で我々の目の前に表示することに成功した。この科学的研究は医療の発展や医学部学生の勉強のためにもなる。これは大阪大学「整形外科運動器バイオマテリアル学」実験室の菅本一臣教授が制作と監修を務めた。これはとても特別な装置であり、登山家栗城史多がチョモランマに挑戦したとき、酸素ボンベがない状況下で「チームラボオキシメーター」を使い即時に血中の酸素濃度を自動的に測った。血中酸素濃度が正常値より低いとき、かれは頭痛の症状が見られる。この装置は過酷な地で生存する上で非常に重要な鍵となる。なぜなら「チームラボオキシメーター」は自動的に自身の状態をTwitterへ投稿し、これは家族や友人に自身の生存を確認させることができるからである。これは繋がりでもあり自身の無事をシェアするものであり、これは未来の登山家たちに安全に寄与した装置である。展示場でもこの装置を展示してあり、鑑賞者はすぐに自身の血中酸素濃度を測ることが出来、自動的にインターネット上に投稿してくれる。実に人に優しく、面白いものである。 情報が発達した現代と藝術が相互に融合したとき、「Face touch」は独特なシステムと言えるだろう。訪問者がディスプレイの相手の顔をタッチしたとき、呼び出された人のパソコン画面上にメッセージが表れる、とても便利かつ実践的な装置である。このようなものを見ると、未来には更なる開発性及び無限の可能性を感じる。 「グラフィティ@グーグル」はGoogleで画像収集するとき、ある検索キーワードが規則によりひっかかり、作者はその規則に基づき左右の画像の並べ方を計算した。またそれは検索したブラウザや言語によって変わってくる。そのためこの実験過程はとても苦しかった。なぜならGoogleの索引は永遠に変わらないというわけではないからだ。隣にいる作者の日記の中でも、成功した翌日にすぐ変わってしまい、最後に彼は全世界中で検索されたものの結果はブロック状で表示されることを発見し、この規則を発見して新しい藝術作品を作った。このインタラクティブなサイトも展示場で鑑賞者に新しい体験をもたらした。これはペインティングゲームが新しくリリースした、ユーザーは画面上で自由に絵を描くことが出来、またさまざまな道具も利用することができる。そのため唯一無二の独特な作品も作ることができる。このことからは将来web上でのペインティングはより簡単により多くの年代に適することが想像できる。文化が刷新するにつて、チームラボは絶えず開発し、しかし昔の日本人の空間認識やその理解は決して無視していない。「百年海図巻」は2009年から計算して100年間海面線が上昇するものであり、この3D作品による計算から地球温暖化の変遷を感じることができる。この環状型の作品は、水墨画の掛け軸のようだが、内容と音楽は現代風なアニメーションである。 「花と屍 剥落」は日本の平面性絵画をパソコンを経由して3D立体視覚空間へ変換したものであり、また日本の空間認識は視点が近づくにつれ、より立体的に表現されやすい。また視点が遠い前提で空間全体を認識するには、空間は層として認識されやすい。つまり所謂超主観空間である。この三つの作品の共通性はすべて自然と文明の衝突、循環と共生を描いており、これはらすべて超主観空間を概念の基軸としている。この作品は我々に昔の日本人が環境空間に対する考え方や解釈を教えてくれる。展示場には18の作品があり、我々により藝術およびその他の分野との産物を体験させてくれる。このチームラボに様々な人材がいると知ったとき、開発されたものすべては無限の可能性を秘めており、将来の発展はより楽観的になる。しかし科学技術の背後には、人々が今後科学技術産品にのみ頼り、自分の殻に閉じこもってインターネットでのみ他人と関わることや、資源が枯渇し始めたこの時代、やはり電気量の問題を考える必要がある。これはただ始まりで、研究や改善は絶えず行われ、やがて本当の意味での藝術超未来が実現される。

Featured on SANKEI SHIMBUN CO.,LTD., June 6, 2012

在台灣舉辦由日本始發的「藝術超未來」展以藝術作為目標的數字產業

 技術和藝術的境界正在消失。在台灣•台中市的台灣美術館,由日本的感性打造出的,介紹未來感覺數字藝術的「We are the future」(藝術超未來)展召開,受到市民和本地媒體的關注。 這是由108台智能手機組成的映像群舞「即使沒有秩序和平也能成立」,終端用照相機和電腦,顯示器互相結合,對來場者的動作也會作出反應的作品。台灣的手機信息終端企業HTC提供器材協助。到場者們對看慣了的手機也能成為藝術, 發出了「好帥」的驚嘆。 這個作品是由東京的一家網絡設計營銷公司團體實驗室設計的。 團體實驗室的豬子壽之社長主張「所有的產業都是數字化和藝術結合的現在,產業如果不成為藝術就不能生存」。 會場是數字藝術專業館「數位藝術方舟」。入口,該公司的無人客服機和衣架和牆面的顯示器相聯合,拿起衣架,關聯的照片就會和顯示器連動的「團體實驗室吊衣架」等實用作品引人注目。 全部16個作品的最後, 12個顯示器表現的動畫作品「花與屍 剥落 十二幅對」。 3維空間像畫一樣在平面展開,該館的黃才郎館長稱讚道「最新技術和傳統的表現法的相乘效應,對喜歡新事物的台灣人來說非常刺激」。 8月12日。(台北/吉村剛史)

Featured on No Man's Land, May 31, 2012

超主觀空間:日本teamLab的影像實驗室

走入TEAMLAB位於東京文京區的辦公室,在電梯門口迎接人們的不是生冷的上班族打卡鐘,而是充滿懷舊趣味的任天堂紅白機,遊戲機旁邊則是放滿一整面全體員工個人偽專輯的鮮黃色CD牆,散落辦公桌的塗鴉紙張、玩具零食、實驗到一半的小裝置,和一般印象中與科技研究相關的公司有著非常不同的活潑形象。這是2001年3月由當時仍在東京大學就讀研究所的學生豬子壽之(Toshiyuki Inoko)所創立的科技藝術團體,成員涵括了網路工程師、設計師、機器人工程師、建築師、動畫設計師與數學家等,他們所開發的媒體範圍有網路技術、品牌經營、資訊諮詢、娛樂裝置、錄像藝術與空間設計與產品設計等,活躍於東京的TEAMLAB自2001年至今,已由五人的公司成長到200多人的團隊規模,目前在上海也成立了團隊分部。2011年4月TEAMLAB受Kaikai Kiki Gallery負責人村上隆的邀請在台北展出作品,這也是Kaikai Kiki在台北首次展出的影像類作品。源起於東大學生時期就創辦TEAMLAB的豬子壽之,在談到當時為何會創立這樣跨媒界、跨產業的團隊時,提到在目前現代化的社會中,人們的活動開始以網路為中心,無論哪一方面的產業都會逐漸與數位領域結合在一起,當初在設立TEAMLAB時,覺得日後設計、藝術或是產品製造間的界線,都會因為網路的應用而變得更曖昧模糊。像是現在的iPhone的app科技,我們也分不清哪個部分是工程師寫的,哪個部分是設計師做的,未來產業與藝術也會交融在一起,人們在製作物品時,技術與設計都是重要的因素,對於藝術創作而言當然也是如此。因為以後這種產業或藝術間的界線會越來越曖昧,數位科技與藝術領域的整合也是必然的趨勢,與其要自己一個人埋頭去做東西,不如創立一個團體還比較有趣;另一方面也是不得不這樣做,因為一個人能做的事情畢竟有限。在TEAMLAB的作品中,也常有以資訊時代與科技發展的思考方式進行創作,在製作過程中訊息的傳遞方式與應用的媒體顯得相當重要,不同於一般藝術創作的過程,TEAMLAB的作品通常先考慮到的是媒體與人的感受,在視覺的表現上常常是最後才考慮的部分。當產品成為媒體而隨著資訊傳播的方式改變,產品(藝術作品)也可以成為一種傳遞的媒體,在TEAMLAB的產品設計中,不僅關注科技的研發,也同時思考著人的身體行為。在資訊化的時代下,商品不再只擁有單一機能,而是需要具備連結其他訊息的網絡功能。TEAMLAB設計的衣架便結合了人類購買行為:會將喜愛的商品拿在手上觀賞的手部動作。他們透過衣架內建的動作感應器,使觸碰衣架的顧客能在面前螢幕上看到該商品的相關訊息,甚至能為顧客上演一場服裝秀,簡單的動作訊息形成商品與消費者之間更為豐富愉快的購物經驗,品牌也因此有新的形象表現。個人化的觀看經驗也是他們另一個關注的部分,在當前這個時代中,物件的使用逐漸成為非常個人性與獨立性的操作行為,觀看的模式也開始跳脫過去那種眾人共有的客觀位置,網路介面的使用便是其中最明顯的例子,在一對一的操作界面下,眾多不知名的網友甚至可以同步改變正在使用的頁面,將更多訊息填入,生產出更廣大的虛擬空間。在TEAMLAB所設計的概念手機「actface」裡,Rhythm程式會捕捉使用者操作的韻律,在手機螢幕上生成動態的水墨畫影像;Play則結合使用者的資料介面,以2D的Pixel畫面產生如電玩遊戲般滿屏的街道場景,街道中走動的行人也隨著電力、使用方式產生不同的變化,因用戶輸入的資訊、使用習慣的不同,每支actface手機都會「長」成不同的樣貌。以古觀今的身體經驗2008年12月,日法交流150週年紀念活動「感性Kansei Japan Design Exibition」中,TEAMLAB以始於安平時代(西元794至1185)的日本大和繪為創作基礎,在羅浮宮內的裝飾美術館展出影像裝置〈花與屍〉,在展廳中放置12座高達2.7公尺高的LED螢幕,以電腦繪圖重建傳統日本畫作中多點透視的平面繪畫感。社長豬子壽之在訪談中提到,這個想法最初來自他們看到明治時代前,日本畫作觀看世界的獨特方法。在西方繪畫傳入日本的明治維新時期之前,日本傳統繪畫中並沒有立體透視的概念,在空間表現上完全不同於照片或西方油畫中那種「逼真」的透視法,這是一種經過高度平面化後的空間感知。現代人在西方影響下,立體透視已經變成相當普遍的觀看習慣,但對於以前的日本人而言,他們可以就這樣的畫面想像出真實的場景,這是與西方藝術不同的存在原理,而TEAMLAB稱之為「超主觀空間」。在當前的全球化結構下,所有人都陷入一種被西方教育後過度客觀、一致性的觀看症狀,豬子壽之認為在日本西化之前,這種傳統的繪畫方法必然有其優點與民族自身的審美價值,先人們以高度主觀的方式,將三度空間的訊息量壓縮到二度空間中,TEAMLAB希望能了解這種日本繪畫中的理論構造,與西化前日本人觀點看事物的方法,於是以電腦運算進行日本繪畫的空間模擬,先用CG做出完整的3D空間模型,再修改成卷軸畫式的多點透視視角與日本繪畫的色彩質地。影像作品〈花與屍〉利用日本先人對空間的觀看角度,以現代科技重新視覺化並再現為3D影像,影像從日本傳統畫的模擬視角,隨著鏡頭運動轉變為如同乘坐直升機繞行,卻同時又失去所有立體感、無止盡的超現實空間觀看。這件作品呈現的是與真實世界間相互曖昧的世界,TEAMLAB希望觀眾不要以習慣的客觀角度去看,而是要如古代的日本人那般,以主觀的方式將世界壓縮,與自己的身體產生出新的觀看可能。豬子壽之強調,他們在當代環境中使用這種方法並非是為了回到過去的傳統,或對此時期畫作有特殊的喜好,而是希望以這種傳統日本人的視角,拆解目前過度習慣、客觀一致的觀看模式。吞沒觀眾的影像世界自然基金會(World Wide Fund for Nature,以下簡稱WWF)在2009年9月預測世紀末全球海平面將上升120公分,是過去專家預測數字的兩倍。海平面上升,首先波及的便是日本、台灣這類島嶼國家,〈百年海圖卷〉的創作動機便是試圖讓人們對這項預測能有直接的身體感受,因為這是日本必須思考且迫在眉睫的全球暖化問題。去年10月,在東京明治神宮外苑舉辦「東京設計師週」,當時TEAMLAB提出的第一版〈百年海圖卷〉,作品是直徑30公尺的圓形穹頂,以360度的環型影像將觀眾包圍在其中。但這種仿地球型態的呈現方式,似乎無法滿足TEAMLAB以日本傳統卷軸式繪畫,拆解當代客觀視角的企圖。於是在第二版,也是目前確定的展出版本中,改以平面的投影方式,製作長達23公尺高120公分的ㄇ字形影像裝置,此版本作品的高度尺寸也更為貼近WWF所預測的上升幅度。〈百年海圖卷〉影像的播放時間,將100年的長度濃縮至十分鐘,觀眾在十分鐘內便能感受到漲滿整個空間的海面高度,最終被影像吞沒。第三個版本則是將時間實際設定為100年,這組影像自2009年底,也就是WWF預測海平面上升的時間點開始播放,此版本的播放程式設定為不可逆,就算是將電腦關機、斷電,時間仍持續計算,不斷接近WWF所預測百年後的海面高度。在日本古代,海洋的豐富生命意象讓人們對自然有所崇敬,將大海視作一個活生生的生命體般敬畏。在這件作品中,TEAMLAB以典型的日本版畫形式建立出虛擬的3D海浪與島嶼,並重新以日本傳統的捲軸畫方式將之平面化,TEAMLAB希望影像能不只是被應用在電影、電視中,而是可以去產生出對其他事物的看法(這裡所指的是肉眼、身體上的,而非精神性的)。超主觀的透視法豬子壽之談到,進入21世紀後,人類的一切活動都趨向數位化,網路也改變了社會的運作方式,比起過去西洋畫那種固定的觀看,其他東西在這個時代應該有更多發展的可能性。例如過去在看電影、電視、西洋畫作時,我們的觀看都被預先設定的焦點所限制住,總會有一個最佳的觀看位置,但是在看傳統日本畫時,並沒有所謂的焦點與最好的觀看位置,〈百年海圖卷〉也因此得以塑造出一個無焦點的空間,觀眾站在任何角度進行觀看都同等重要,「就算影像在牆角產生垂直轉折,看起來也沒有什麼奇怪,因為一開始便沒有透視或焦點可言,若換成照片或是任何一張西方的油畫都不會有這樣的效果」。這種從各種角度看事物的方式,也表現在他們長期發展的「空書」系列裡,「空書」顧名思義是在空中進行書寫,TEAMLAB以3D建構出一個虛擬的空間,讓筆墨在其中流動、凝滯在空間之中,這種自由的書法形式因為筆畫運動的空間脫離了2D的紙面,進而增加了第三條軸線的方向性,攝影鏡頭也在其中不停翻轉運動,在最後的筆畫完成、鏡頭回到特定位置之前,這些文字都無法成立、無法被辨識,生活中最熟悉的文字也出現了完全不同的樣貌。豬子壽之認為從傳統繪畫來觀察,以前日本人看東西的角度是非常平面的,相對在社會生活中日本人也是平面性的,沒有焦點便沒有誰是主角的概念,這也形成了日本社會中群體一致性的意識形態。日本社會無形中繼承了這種對世界的二次元描繪方式,尤其在動漫、電玩的視覺語境中更是強烈。人在玩電腦遊戲時會希望變成這個遊戲空間中的人物角色,此時人們所使用的觀點就會有所不同,雖然我們無法真正變成遊戲中的角色,但是仍然會假設性地從遊戲裡面的角度往外看,這與西方透視法所到看的風景是完全不同的結構。傳統平面畫的散點、無焦點的透視法,所看到的風景其實就像電玩遊戲,是一種被壓縮過的資訊形式,你可以變成其中的主角去享受這些空間,看捲軸畫時也幾乎像是進到任天堂的遊戲過程裡,若一旦以西方觀點去看,就無法享受到這樣的遊戲過程。TEAMLAB再現日本先人對於空間的認識概念,藉此讓觀眾體會影像與自身所處的位置,以「超主觀」的視角進行觀看的拆解,他們認為「當影像重新構築空間時,或許就能超越名為空間的物理性制約,接觸到更身體性的體感」,這一點也是這次展覽所要進行的嘗試。(作者:林怡秀)(本文原載於《典藏今藝術》no.223)

Featured on TVBS, May 30, 2012

〈スクープ〉革新的!100台以上の携帯電話が一斉に演奏 大所帯楽団に変身

日本のクリエイティブデザインチームが、アートとテクノロジーを融合した作品を創作して、展示会を開きました。 そのうちの一つの作品は100台以上のスマートフォンを使って、楽団を組みました。人間が近づくと、スマートフォンが感知し、中の演奏家が演奏を始めてしまいます。これら100台以上のスマートフォンが真っ黒な木製小部屋に設置されているため、よく見ておかないと、スマートフォンであることに気付かないだろうと思います。 日本ダンサー達は音楽に伴って、踊っています。ある人達が伝統的な踊りをしていて、ある人達が楽器の演奏をしています。暗闇の中で、100人超えの団体が演出しているように見えますが、実はすべでの人間がスマートフォンになっています。 彼らは一つの木製の黒箱の中に設置されていて、バッテリ切れで充電せざるを得ない状況を除けば、目の前に現れているのが百人の大楽団そのものです。デザイン会社の社長である猪子寿之が通訳に、「無線技術を通して、スマートフォン同士間のコミュニケーションがちゃんとできるようになっている」と紹介しています。 クリエイティブデザイン会社が、大手スマートフォンメーカーとパートナ関係を築き、100台以上のスマートフォンを提供してもらい、伝統芸術と現代スマートフォンのテクノロジーを融合させ、日本伝統の踊りと楽器演奏を現代テクノロジー化にしてきました。展示場運営関係者Emmaさんによりますと、「我々観客が近付いて行くと、これら伝統の日本音楽芸術家達が演奏を始めると同時に、前から後ろへ伝達していくのがわかります。」 芸術家達は怠ける時もあります。観客が離れていくと、彼らは楽器を手から離し、こっそり休憩を取っています。観客が来るのを感知すれば、再度演奏や踊りを始めていくので、アートにテクノロジーを取り込めば、実用性を高めると同時に、未来を越えていきます。

Featured on SANKEI SHIMBUN CO.,LTD., May 26, 2012

展示日本數位藝術的「藝術超未來」展在台灣開幕

 【台中=吉村剛史】由108台智能手機組成的映像群舞、用平面的捲軸畫表現的3維空間的動畫繪畫等等,以日本的感性打造出的介紹日本數位藝術作品的海外展「We are the future」(藝術超未來)26日在台灣•台中市的台灣美術館開幕,實用品和藝術作品的無國界的世界,從台灣的現代藝術愛好者「真棒」的稱讚聲中開始了。 「眾多超棒的日本數位藝術。在表現中感受到傳統和文化的存在」 開幕典禮上台灣美術館的黃才郎館長稱讚道這是最新的表現技術和傳統表現法的相乘效果。 該館的數位藝術專門別館「數位藝術方舟」展示的是網絡設計營銷公司teamlab(東京•本鄉)的16個作品。 關注該公司作品的台灣女性學藝員陸蓉之對用日本畫的風格在顯示器上表現出在100年的時間里海面持續緩緩上升的動畫「百年海圖卷」給出了很高的評價。 她這樣說道「從來沒有看到過,嶄新的表現。許多台灣人都會情不自禁地感到驚訝,對眼前的『未來』表現出興趣」。 當顧客拿起掛在衣架上的衣服,牆面上的顯示器便會顯示出搭配後的照片,在這個被服飾業界實際導入的商業作品「團體實驗室吊衣架」的面前,參觀者排起了長隊。 作為展覽會海報的「花與屍 剝落 十二幅對」,是以12台顯示器表現出的動畫繪畫,不是用西洋的遠近法,而是像捲軸畫一樣強調著在平面上的擴展。 該館的學藝員林曉瑜說出了自己的感受「不僅僅是超越實用和藝術的籬笆,超越數字科技藝術和傳統文化的籬笆的融合是非常刺激的」。 得到台灣手機信息終端大手公司HTC的協助,在108台智能手機畫面裡穿著日式服裝舞動的小人的作品「無序中的和諧 Diorama Ver.」,讓許多參觀者在幻想的表現面前感嘆到「真棒」。 出席儀式的團體實驗室的豬子壽之社長說道「不是表現技術的優劣,『在從前的日本人的眼裡,世界就是那樣的』」。 並且豬子社長主張「所有的產業都在數字技術化,產業如果不成為藝術就不能生存。日新月異的數字技術,共享的高速化,在表現上要產生差異就有必要重新認識傳統和文化的思想」。 「在這個評價不定的領域中,台灣的人們好像對未來有了積極的感受」。 該展覽到8月12日結束。該館的本館到7月29日也有關聯作品的展示。

Featured on Numero TOKYO, Apr, 2012

一個人的想法×多方位提攜 大步邁向未來! 采訪Team Lab社長 豬子壽之

對中學生來說接受“讓日本重生”這一“信號”, 當他還在東大在讀的時候,創立了“ultra-technologists group”Team Lab, 出演過《朝生》,打破常規的處事方式倍受矚目的奇才——豬子壽之。 走在世界之前的他,映入他眼裡的,東京的文化趨勢又是什么呢?豬子壽之(toshiyuki inoko) 1977年,日本德島出生。信息化社會的制作各種東西的專家到ultra-technologists group Team Lab的執行董事。2001年,東京大學工學部計數學畢業的同時創辦了Team Lab。大學主攻概率和統計模型,大學院研究課題自然語言處理和藝術。 不是“拜托”而是靠自己創作!培養顧客中心地時代————人們的趣味嗜好被細分,之前就稱其“細分化”,但是現在,東京的culture到底是在怎樣的情況下存在的呢? 總而言之,我認為現在大家比起事先准備好的東西來說,對能展現自我的東西更感興趣。通過SNS(social networking service)的快速發展,使得用戶能展現自我,使人們本來的欲望再次沸騰。但是這是和細分化完全無關的文章脈路。細分化是從媒體的視點,若是以前的話,“准備了美空雲雀(美空 ひばり)的歌,大家喜不喜歡?”之類的話就可以了,而現在根本不可行。————我們不知道該如何對應這種情況下媒體“相伴到黎明(朝まで生テレビ!)”等節目都委托豬子先生出場,可能是為了“該如何做應該會指點一二”的目的吧。 我不知道是不是這樣,SNS從過去就把網絡這個東西為用戶中心創建了一個新社會,信息的流通成本不受限制,幾乎為零,所以一般人很輕松的就能加入,這就是真正的信息化社會的開始。2001年Team Lab成立的當時,還是MBA呀顧問風靡的時代,彌漫在“白領支配著世界”的氣氛中,我預感“但是到了21世紀,成了想要靠自己動手做點什么的時代。”雖說是創作,現在開始會變得越來越復雜,單就設計而言,僅僅只有工程師是無法完成的東西是很多的。比如iPhone的觸摸屏,從哪裡到哪裡是設計,哪裡到哪裡是程序,根本不知道。不可能像過去的汽車那樣分工明細。所以,在這種界限逐漸模糊的情況下,想要以各種形式,把想做各種創作的人聚集到一起,形成一個集團是我想做的。空想滿足者(※1)至上速報!東京的文化和信息化情報————另外像最近的秘密行銷(※2)的騷動,但現在網絡可謂是魚龍混雜。 但是信息,從以前就是充滿謊言。媒體所說的事呀、流行也是如此。————網絡的發達,使得溝通無限,就連地理差異也帶來了影響。超越西洋的異國風情的東京的文化的獨創的發揮什么是必要的呢? 在東京的確有著個性的一面。那是因為東京與信息化社會十分融合。歐美的好萊塢之類,與其說是實寫中心,還不如說是有較多的實存內容。與之相比日本的漫畫和動畫很多都是非實際存在的內容。比如初音未來(※3)VOCALOID(音聲合成技術)不像動畫角色那樣,而是看上去是Lady GAGA,不管是誰用它來展現,結局還是在模仿她。但是就是因為初音未來有著動漫的特質,我認為不是道理上的真假,而是大家自己感情融入角色中參加。初音未來的音樂影像不管是誰都可以制作的“MikuMikuDance”(※4),想要做加入音聲合成技術的歌的話,探星,在錄音室中錄音⋯⋯這在以前只有少數人能夠可以,但是現在自己在家不必花什么錢就可以做出相當出色的歌曲。也就是說,新技術賦予個人自由,豐富華麗的文化為契機,孕育出的結果。所以,我認為原本就是非現實的表現為背景的東京,很容易就能成為信息化社會的文化的中心的原因。街邊文化的最新形態————房間、我的老婆(※5)和我————豬子先生在06年Milano Salone中展出的“Tokyo Girl”(※6),東京的女生的房間就是那樣,這也是用戶自己表現中心成為時代潮流想要呈現的東西吧。 是的。90年代的街頭是裡原宿,00年代前半的街頭成了秋葉原。然而現在,自己的房間成了現今的街頭文化。沉迷在網絡的人們,正開始孕育出新的街頭文化⋯⋯雖然有點搞笑,但是6年後的今天,也不是不可能的。————把自己房間當作文化最前線,東京和其他地區,引導的文化差異也會逐漸消失嗎? 不是,我認為不太可能。若像美國那樣,地方不同法律也就不同的話,也就是最寬容沒有約束的地方越是能成為有趣的地方,但是日本反而會過於沒有個性,結局成了人越是多的地方越是有趣。網絡是個人表現最強、最有趣的場所,但是靠其得到收入、或經營之後,就立刻就會和現實相掛鉤,地理性的約束也隨之發生。所以今後的東京,是更集約化呢?還是被淘汰呢?它的命運又將會是如何?金融世界已轉向新加坡、上海,離開了東京也在不斷發展。但是今後,制造的工作會變得更加復雜化,作為一個專門職業不說,連一個企業沒有辦法解決的問題也會逐漸出現,不將其聚集在一起的話,也沒有辦法做出新東西。就連美國的IT企業,那么寬廣的國土中,正因為他們都聚集在硅谷,才不斷產生革新。即使是資料庫,還是用戶界面,高度化使其界限變得模糊曖昧,所以為了創新,除了讓各種職能的有效配合其他別無他法。模仿海外是淘汰(※7)!?找尋極秒的Something!————如此,在東京各自領域的特有化區域是必然的。 當然。社會就是個謊言,它將欲望說成是倫理觀,將謊言埋藏其中。比如性欲是是普通的生理欲望,但是當眾卻說不出口。但是到了情愛旅館聚集的場所,大家都是一樣的狀態,大家就會安心。在家的附近Cosplay的話,就會被指指點點,但是到了秋葉原,卻成了可愛的象征。也就是說,在特定的區域裡,我們的寬容也會就此被解放、有趣的文化也就孕育而生。其實直到90年代的東京,比起法律,倫理觀更加具有文化性、世界上最自由的城市。但是現在倫理觀卻比法律更為嚴厲。所以為了尋求更加自由的地方,只能是網絡。Niconico動畫、Pixiv(※8)等,我認為今後會越發展示個性。————即便如此,豬子先生今後還想繼續待在東京嗎? 我認為其實我只有在東京做什么才是有意義的。為什么這樣說,做是一種行為,自己所在的場所的文化對我有很大的幫助。比如,iPhone的設計的黃金比例很完美,但是這本來就是歐美文化經過上千年對美的追求、蓄積而成的。正因為是在那個環境中長大的人才能設計出那樣的設計,要是日本人去模仿只能是東施效顰。所謂的國際化並不是那樣,反而我認為日本人會從不平衡中發現它的另類之處。假山水,到底有著什么樣的平衡感,完全找不到頭腦但就是美,用自然的形態創造出像kitty那樣另類造型,就連日本的偶像也是如此。我認為只有在這個文化背景中長大的人,才能在國際化中有所成就。 (參考插圖)『數位咖啡☆數位酒館 MaiDreamin 涉谷』運營女傭咖啡店的「MaiDreamin」與teamLab共同研發的新娛樂空間。配備了”女傭”作表演的舞台,會發出彈簧聲音的蹦床,根據實際情況女傭的卡通人物會發生互動反應的「電腦屏幕」等設備。※1 空想滿足者 形容戀愛,交友關系等現實生活很充實的人的網絡用語[現實滿足]的反義語。多用於形容沉浸在動漫與網絡等虛幻世界的人們。※2 隱形營銷 在不被消費者察覺的情況下進行的宣傳活動[Stealth Marketing]的代用語。在消費者評價網頁上作虛偽的宣傳後,被揭穿導致在網頁上引起大爭議的事列比比皆是。※3 初音未來 輸入旋律與歌詞,利用語音合成技術來編成女聲聲樂的VOCALOID(VOCAL ANDROID)軟件,及其人物。以[是她演唱的]來定義的樂曲及插圖等,在網絡上的投稿作品有幾萬件。※4 MikuMikuDance 通過操縱初音未來等合成的三維模特,來創作電腦動畫的三維CG軟件。被其開發者無償公開後,舉辦過一些利用此軟件創作的作品的評選比賽。※5 我的老婆 動漫世界裡,對喜愛的角色的一種暱稱,也是網絡用語。常用於想表現[想娶她做老婆般的喜愛]的意思時,較[萌]的說法。※6 『Tokyo Girl』是在世界上最大的家具展覽會「MILANO SALONE」在2006年發表的teamLab的作品。作為體現東京文化的「Tokyo Design Premio」的出展作品,把居住在東京的女孩的居室直接再現,引起了世人注目。 ※7 淘汰 日語「已經結束的事物」的簡稱。常用於形容人氣下降,需要減少等被世人厭倦了的動漫,音樂,藝人等的網絡用語。※8 Pixiv 把自己的漫畫作品投稿交流的社交網站。以漫畫(動畫)為主大約有2千5百萬幅作品(2012年1月為止)被上傳,也存在不少被眾多粉絲追捧,號稱為「繪畫家」的上級玩家。

Featured on GQ, Apr, 2012

特集 Japan as Number One 什么是“日本特有”? PART 1 今後的JAPAN的議論正論暴論(?)篇

數碼技術和日本文化,意氣投河!在現在的日本的某個領域中肯定存在著能達到No.1的什么。想要與這些預測觀察的這些少年世代的評論家對峙。Ultra Technologist 集團Team Lab的執行董事豬子壽之和現代現代文化評論的帶頭人宇野常寬。他們兩人斷言:日本會成為文化的中心。的理由是什么?構成:森 慶太 寫真:山下亮一MikuMikuDance!豬子: 今後的時代,我認為具有新媒體和文化性的領域在日本的潛在市場並不樂觀。為什么這么說,因為是用戶自身的表現為主而不是企業。例如初音未來,不是超受歡迎嘛。宇野: 因為初音未來這類游戲沒有被設定的結局,可以創造自己的偶像形象,樂在其中,我們已愛不釋手沉溺其中。不知道初音未來的人可以想象一下卡拉ok。也就是說“音樂的旋律上配上玩家自身的聲音來演繹的“音樂類游戲”。然後網絡 將這種新快感通過超低價來擺脫束縛。初音未來就是通過這內容消費者的變化長盛不衰。豬子: 所謂MikuMikuDance就是能邊唱歌邊跳舞,也可以將其制作成PV(promotion video)。因為市場上已開發出操作簡單面向一般用戶的菜單,軟件。科技的進步,單一個體也變得更加自由人性化。宇野: 通過這種方式做的影像媒體,能隨時上傳公開。而且不花一文錢。當然,這也就是提出類似於“吃力不討好,沒錢賺”這樣的反論提出的原因。豬子: 但是,過去的日本的故事中的也有提到過根本沒有想過要賺什么錢,簡單的說就是,如同孔雀展翅一樣。宇野: 呵呵,那是它在求愛吧。豬子: 他們都就和延長線一樣。自我滿足欲望。人的本能。宇野: 言之有理。豬子: 而且,在歐美,實質的媒體產業的文化是否真的在發展呢?簡單的說好萊塢電影用的是真實存在的演員。但是日本一直都是靠非實在的發展。非實在,說透了就是畫。畫讓人自由。我認為從一定意義上來說個人想要做一個關於Lady GAGA的PV,不邀請Lady GAGA到場是不可能拍成的,但用“VOCALOID(音聲合成技術)”的初音未來就能實現。宇野: 能自己做,完成的作品又能分享給別人看,坐享其中樂趣。或者說是,為了這個目的做不如說。媒體產業提供了交流平台。豬子: 雖說日本在過去就有虛擬文化的背景存在,被科學技術趕上了。我想說的就是,現在的人以自我表現為中心的時代,這與數碼技術和日本的文化意氣投河。時代的巨變使得日本與科技更加融合。但是,今後的時候,從深層角度來看,日本很可能成為文化的中心。文化背景的融合性,好!就我說的,宇野先生您覺得我說的對嗎?宇野: 對!對!(笑)。我們也有發言權嗎豬子: 就創造者而言,歐美和日本相比哪個比較優秀的話題。主要是單純是想討論時代的變化和融合性之間的問題。宇野: 總是由我簡單明了的解說,但是今天怎么不用怎么解說(笑)。有種孿生兄弟感覺。豬子: 宇野先生這不是很好嗎?盡情地享受這種感覺吧。(笑)宇野: 和豬子先生的意見超~同感!以此為前提讓我們繼續說(笑),主要的是因特網。在媒體的世界需要確保有信息提供者和接受者,但是文化的不同也起了決定性影響力。豬子: 但是這與國家之間沒有關系,是科技的進步。宇野: 當然,再怎么說科技本身的價值是中立,但是日本這個國家將其吸收應用,並轉換成自己獨特的東西。不管是日本車、niconico動畫,還是日本的因特網也是這樣設計出來的。就是這半閉半開是日本有趣的地方。豬子: 一半?怎么說?宇野: 譬如從美國進口動畫時,在日本手冢治蟲沒有預算,不能做傳統經典動畫只能變成有限動畫。就因如此,從另一個角度來說,作為影像作品,不能享受其自然完結,而是被編輯分離,登場人物和劇中設計架空的年表是因不完整的文化而孕育成的。即便成為基礎的科技也是同樣的特質,初音未來並沒有在美國誕生。日本不是單純地作為供貨商將完成地作品提供給消費者,而是讓消費者自己將作品動手完成作品讓其體驗追求游戲的快樂,並發展這類表現形態。我想正是有了日本的角色文化的特征,才會有初音未來的誕生。不管是現在還是過去,從同人志即賣會到niconico動畫,消費者2次、3次,甚至n次創作的交流事豐富表現的土壤作為背景,繼續存在。特別是除了網絡:我們也能發送信息,能做到嗎?這和實際上個人可以發送信息,而且也能知道那種快感的理由。已經不能回頭了。若無視這個世界的壯大,要講述現代的文化狀況可以說是不可能的。迫在眉睫的MAD動畫禁止!豬子: 在日本還沒有進入網絡的時候,我們不是也辦過Comic Market(世界最大的同人志銷售會)嘛。完美地扮演角色人物或是自己編撰故事情節。宇野: 換句話說,就是東亞洲特有的創造力與現今的媒體的技術有著較高的親和性。豬子: 然後,Comic Market能像現在這樣成為那么盛大的活動,那是因為它是長時間都處於非主流文化中。宇野: 要是這么說的話,現在不是很受威脅嘛。MAD動畫已被禁止在Niconico動畫中播放。豬子: 各種各樣的動漫作品被巧妙地剪切刻錄,並重新編輯成MAD動畫,明明那么超受歡迎,還⋯⋯。宇野: 這也是日本在世界最先端領域中的其中的一個。豬子: 要是在30年前Comic Market被禁止的話⋯⋯會讓人不禁感到恐怖,是吧?不是現在還有禁止卡拉OK之類的話題嘛。而且最近類似的話題也在網絡上沸騰。宇野: 或許,從中會孕育出世界性的影像作家也不一定。 真是可惜。豬子: 傳什么被禁止是因為存在侵權性問題,像什么產業革命呀、大量生產呀、資本主義呀還有志趣相投的歐美等,還不是到20世紀才受關注的嘛。現在的信息化社會不要親手毀掉這一難得的創造力嗎?宇野: 必須要得考慮行政方面。要清楚的是動畫呀卡拉ok等文化的形成的理由和過程並不是什么淺層的問題。因為能向世界輸出是成為日本的寶貴的產業和資本,是具有振興意志。豬子: 什么知識性產權經濟呀,在不久的將來也會漸漸沒有吧。比如微軟出售著作權(package software,軟件包)賺錢,但是現在同產業的苹果、谷歌也在不做相同事嗎?本來日本的動漫與好萊塢模式相比,知識性產權經濟的成本低,關聯商品的版權經濟較多。到現在還口口聲聲說什么著作權。宇野: 比如AKB48的CD不僅僅是音源,還有握手會入場券、選舉的投票權都是出售溝通的機會。這是AKB參與性表現,加入交流的內容、提供至上的快樂的證據。這是必經的過程。豬子: 我們數碼的創造的世界中 現在是最有趣,界限曖昧的時期,到現在為止的框架很多都不能給予評價。讓日本面向世界提供一個場所怎么樣?雖然有點摸不著頭腦,但應該給有趣的東西頒個獎。像Comic Market一樣自己展現自己個性的場所在會場的附近也辦一個。宇野: 我想那一定很棒! 世界最大的同人志即賣會 =宅男的盛典!1975年開始的Comic Market(日語簡稱コミケ或是コミケット),一年2次,夏季和冬季在東京國際展示場(Tokyo Big Sight)舉辦。上屆冬季Comic Market(C81)舉行的3天內50多萬人參加。參加團隊約3萬5000,3天合計cosplayer約1萬5000人!下屆C82預定於8月10~12日舉辦(攝影:コミックマーケット準備會)。左圖“2011年冬季コミケ(C81)的宣傳冊”。©れっどべあ[吉例]新春特别公演『龍と牡丹』———劍舞/影繪———』提供[youtube_video]ZmlkmVoPuQA[/youtube_video]劇團朱雀在2011年新春,參加的[吉例]新春和特別講演《龍與牡丹》中“劍舞/影繪”(『龍と牡丹』內「劍舞/影繪」)的一出場景。影像效果的逼真,早乙女太一與自己皮影展開的激戰。Team Lab 細膩逼真的影像表現,將變換的造型,一場接一場震撼視覺的舞台設計,將早乙女的才能完美展現。豬子 壽之Team Lab的執行董事。1977年生。01年,東京大學工程計數工學科畢業,同時創立Ultra Technologist 集團 Team Lab,擔任執行董事一職。04年東京大學大學院信息學中退。在大學專攻概率統計模型,大學院研究自然言語處理和藝術。並作為branddatabank和產經數碼的董事。宇野 常廣評論家。1978年生。「PLANETS」的總編。『0年代的想像力』(早川書房)、『Little People的時代』(幻冬捨)。更科修一郎共通出版的時事評論談話集『批判的Genotyping subculture的最終審判』(Saizo)。企畫•編集參加『思想地圖 vol.4』(NHK出版)、『朝日Journal 日本破壞計劃』(朝日新聞出版)等等。

Featured on International Symposium of Seoul Art Space GEUMCHEON, Oct 2011

情報化社会、テクノロジー、デザイン、アート、文化、そして産業

チームラボ代表 猪子寿之 0. Introduction チームラボ チームラボはプログラマ(アプリケーションプログラマ、ユーザーインターフェイスエンジニア、DBエンジニア、ネットワークエンジニア)、ロボットエンジニア、数学者、建築家、Webデザイナー、グラフィックデザイナー、CGアニメーター、編集者など、情報化社会のさまざまなものづくりのスペシャリストで構成される集団です。 情報化以前の時代は、テクノロジー、デザイン、アートというものは、はっきりと分かれていました。例えば、車だと、デザイナーが外側を、エンジニアがエンジンを、それぞれ独立してつくっていました。しかし、デジタル領域は、その境界が曖昧になります。iPhoneの例のように、あのインターフェイスは、どこまでをプログラマが、あるいはデザイナーがつくったのかわかりません。デジタルとは、何か?もともと人間にとっては、全ては情報でしかなかったのですが、デジタル以前は、情報を媒介するため、物理的な物質が必要だったのです。デザインにしてもアートにしても。その情報が、媒介する物質から、開放されたのです。媒介する物質が、デザインやアートとテクノロジーを分断していましたが、物理的な物質から開放されたので、境界線などなくなります。このように、情報化社会では、専門性は深くなるにもかかわらず、1つのものを創るときに、それぞれの専門性だけでは創れなくなっていきます。チームラボは、専門性の高い人間が、専門性の境界をまたいで、チームでものを創っていきます。手を動かすさまざまな専門職が集まって、互いの領域を曖昧にしながらものづくりをしています。 そして、創ること・そのプロセスの中から、新たな発見をし、その発見を、次の創ることにいかしていくことを、重要視しています。 わかりにくいので、いくつか、実際のプロジェクトや作品をご紹介します。1. プロジェクト早乙女太一☓チームラボ[吉例]新春特別公演「龍と牡丹」-剣舞/影絵- 北野武さんの映画にも出演された日本の俳優・早乙女太一さんの舞台を創りました。舞台というものが、デジタルメディアで、どのような新しい舞台になるか、というコンセプトです。この映像はYoutubeで公開したところ、220万以上のヒットになっています。このように、デジタル領域は、Webだけではなく、既存の全ての領域を新たな価値のものにしていきます。世界はこんなにもやさしく、うつくしい 壁に浮遊する書が、あなたの影に反応し、あなたを通して、書が持っていた世界が広がります。漢字一文字が持っている世界、書に込めた思い、そして、あなたの思いと、まわりのひとびとの思い、そういうものが重なって、世界が創られていくという作品です。影は、カメラに映った映像を画像処理して認識しています。人が介在するので、無限のパターンがあるため、動きを前もってアニメーションで用意するわけには、いかないので、スクリーンに映っている映像の裏側には、3D空間があり、花や木、雨や、風など、全ては、3D空間上で、物理演算で、リアルタイムに計算しています。 このように、表現、と、テクノロジーは、境界があまりにもなくなってきています。teamLabHanger 「チームラボハンガー」は、ハンガーを手に取ると、ハンガーに吊るされた洋服などの商品が実際にコーディネイトされたイメージがモニターに映し出されるという“インタラクティブハンガー”です。 実際の店舗において売上を伸ばすため、そして、店舗でのショッピングの体験をより、楽しいものにするために、開発した一種のデジタルサイネージ。「ECサイトにおいて衣料品を売るときは,コーディネイトされた写真を掲載したほうが売れる」という、ECサイトの制作や運営を請け負うことが多いチームラボのEC運営上の経験を現実世界にも反映しようという試みです。 AR(拡張現実)のように「iPhoneをかざす」というこれまでなかった新しい行為を、顧客に要求しません。顧客に新しい行為をさせるのはリテラシーを要求することになるからです。 「ハンガーを手に取る」という、その洋服をもっと知りたいと思ったときに、もともと行っていた行為をスイッチとし、より情報を加えたり、音がなったり、インタラクションがあることで、もともとの行為をさらに楽しくしています。 これは、「New Value in Behavior」、という、チームラボのデザインする時のコンセプトの1つ、「本来の目的のためにある行為、その行為そのものに、新しい価値を加えよう。本来の行為そのものをインターフェイスにしよう。」という考えに基づいています。 これは、「スーパーマリオ」で気が付き,茶の湯で確信した考えです。スーパーマリオは,それ以前のゲームに比べて、目的そのものは比較的どうでもいいもので,マリオを操作する,その行為そのものが、気持ちいいだとか、楽しい。つまり,なにかの目的のために行為があるのですが,目的をほとんど忘れるくらい、行為そのものを消費しています。こういった考えは,茶の湯を知ることで確信しました。 たまたま読んだ100年ほど前のお茶の本に,イギリスの茶と中国の茶と日本の茶について、3章に分かれて、書かれているのを見つけました。「イギリスと 中国の茶については,どのような淹れ方をすれば、そのような飲み方をすれば、お茶がおいしくなるかが示されていました。しかし,日本の茶について本の著者は『日本の茶は,おいしく飲むためにお茶を淹れるという目的をもはや忘れていて、「俺の淹れ方のほうがカッコイイ」とか「俺の入れ方は、宇宙につながれる」とか「より精神世界的に高度」だとか,そういったことを言い,普通に考えれば,すぐ飲んだほうがおいしいはずなのに,その前に茶碗を回したほうが美しいなどとする。「そこでは本来、目的のためにある行為,その行為そのものを楽しんでいる。日本にはそういう文化があります。2.情報化社会 情報化社会では,別の変化も起こっています。言語化できる領域の共有スピードが速すぎて,もはや言語化できる領域は、競争で優位に立つ必要十分条件にはならないと考えています。情報化社会前は、テクノロジーは国によって格差が発生していました。例えば製鉄技術は,先進国とそれ以外で技術格差が存在していました。しかし、テクノロジーは、論理化でき、言語化できるので、技術格差は、なくなっていきます。 文化依存度が高くて,理由が、言語的に説明できない領域――例えば『カッコイイ,カワイイ,気持ちいい,面白い』という領域は、方法論が、共有されにくい。そこに、先進国の優位性があると考えています。 文化依存度が高い領域のほうが差異が生まれやすく,結果的に競争力につながっていきます。つまり,文化依存度の高い領域をテクノロジーで再構築したような産業が,社会インフラの高い先進国がこれから世界の中でやっていける産業なのではないかと思っています。3.アート そういう思いの中で、「では,自分達の文化はどのようなものであるか」ということに、強い興味があります。「文化をひもとくこと、つまり、文化の裏側にあるもの。それは,世界をどのように捉えているのか?」そのようなことを知りたいと思い、アート作品を作っています。アート作品を創るプロセスで、そのようなことが発見できると思ったからです。 僕は、日本人なので、日本のこと中心の話になりますが、もしかしたら、東アジアに共通する話なのかもしれません。 西洋文明が入る以前、日本は江戸末期(19世紀後半)まで鎖国をしていたので、人々は、今とは違った風に、世界を捉えていて、結果、今とは違った風に世界が見えていたんじゃないか?という思いがあります。 しばしば日本画については,日本には西洋の遠近法(パースペクティブ)がなかったので平面的に描いていたのではないか,といわれます。だが,当時の人々は、日本画のように世界が見えていたから,そのとおりに描いたのではないだろうか?と考えています。そして、当時、日本画を見たら、そこに空間を感じていたのではないだろうか。現代人が写真という平面を見ると,そこに空間を感知するように。つまり、日本画の平面は、西洋のパースペクティブとは違った論理が発達した空間だったのではないだろうか?と、チームラボは考えています。 3次元空間上に立体的に構築された世界を、日本の先人達の空間認識を再現するように映像化するというプロセスで、チームラボは、いくつかの映像作品を創っています。そのプロセスを通して、何か発見できるのではないかと思っているからです。百年海図巻 「百年海図巻」は2009年の作品です。映像の尺が、100年のバージョンと、全長20m超、映像の尺が10分のバージョンがあります。 「日本にはパースペクティブとは違う空間認識の論理構造が培われていて,それが日本画を産んだ」という仮設をもとに、この作品はコンピュータ内部にいったん3次元空間を創り、その空間に物理演算で創った波を創り、それをチームラボが考える日本の空間認識を再現した論理構造で映像にしています。 日本の空間認識を再現した映像には、パースペクティブによる映像、つまり、ビデオカメラで撮った映像とは違った長所がたくさんあります。例えば、特定のフォーカス(焦点)がなく,鑑賞者の場所が特定されません。例えば,映画であれば映画館の真ん中が一番良い席で,そこから離れるほど悪い席になっていきます。しかしフォーカスを持たない この映像は、鑑賞者の場所に左右されないので,鑑賞者は自由に歩き回れます。 また,映像の投影面が平面でなくても構いません。百年海図巻は映像が途中で90度曲がっていますが,現場で見るとほとんど気になりません。これは,屏風に描かれた日本画を想像すると分かりやすいかもしれない。 もちろん短所もあって,客観的/物理的な大きさといった情報は,失われてしまいます。生命は生命の力で生きている 村上隆さんのカイカイキキギャラリー台北で今年4月に行ったチームラボ「生きる」展で発表して、今年の第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ関連企画展「FUTURE PASS」や、アートバーゼルにも出品した作品です。 この作品も同じように,3D空間を日本画のように射影しています。 静止画にすると日本画のように平面的に見えます。ところが映像がアニメーションになったとたん,平面的なはずの日本画が立体的に見えます。 パースペクティブが入る以前の日本人の目には,日本画は立体的に見えていたのではないのだろうかと思えます。レイヤーとしての空間表現 「生命は生命の力で生きている」は,オブジェクト(この場合は3次元的に書かれた「生きる」という文字)に対し,視点がとても近い。一方,「花と屍」(2008年)では広く空間を捉えています。この二つは同じ論理で作られているのだけれども,「花と屍」はレイヤーを使って描かれているように見えます。 実際「花と屍」を見た人は,しばしば「すごくたくさんのレイヤーを使って描いていて,大変ですね」といわれます。創り手としては、空間から創っているので、そう思っていなかったのですが、冷静に作品を見直すと,やはりいくつかのレイヤーで描かれているように見えます。花と屍 これはつまり「日本的な空間認識だと,近くのオブジェクトは立体的に見えるが,空間全体を捉えると,空間がレイヤーとして見えやすいのではないか」と考えています。日本人は,空間をレイヤーとして見ていたのかもしれません。レイヤーに見えていたからこそ,逆に,空間をデザインするときにも,レイヤーとしてデザインしたのではないかと考えています。 例えば、日本庭園は,レイヤーでデザインされています。一方,西洋の庭園はパースペクティブでデザインされていて,一つの視点から見たときに非常に綺麗に見えます。 西洋人は空間がパースペクティブに見えていたので,空間をデザインするときもパースペクティブなデザインをしたし,だからそうして作られた庭園は,移動するとしても奥行き方向への移動が前提になります。 日本人は,空間がレイヤーに見えていたから,空間デザインもレイヤーになる。そしてレイヤー式のデザインだと,横方向に移動しながら鑑賞しても美しさが保たれる、つまり「空間の認識の違いが,人間のつくるデザインに表れたのではないだろうかと考えています。スーパーマリオとドラゴンクエストに見る日本画 さて,レイヤーで表現された空間が横方向への移動に強いというのは,ゲームでも発見できます。スーパーマリオブラザーズというゲームは、初めて、横スクロールという概念を生んだゲームです。スーパーマリオのようなゲームはレイヤー式の背景を有しています。 これは,日本の伝統的空間美意識を,無意識のうちに受け継いでいたのではないだろうか。つまり,日本人が素直に横スクロールアクションをデザインできたのは、レイヤーでデザインされた空間がまわりに多く、それゆえに、人の導線が横に動くことが多く、そして、レイヤーでデザインすることで,少ない要素でも空間を認識できるということを,無意識のうちに感じていたのではないかと考えています。 また,「洛中洛外図屏風」にあるような大和絵が持つ美術表現は,「ドラゴンクエスト」の画面に見る美術表現と同一であると考えています。異なるのは,大和絵はオブジェクトの側面も描かれていることで,これは絵巻物のスクロール方向に合わせているのではないか、またドラゴンクエストのオブジェクトに側面が描かれないのは,左右両方にスクロールするためだと考えています。 スーパーマリオのステージ選択マップも,大和絵と完全に同じ論理構造を有しており、地面に対して水平に存在する橋と,垂直に存在する梯子が,事実上同じようなオブジェクトで表現されています。これは大和絵にとっては普通なことですが,西洋ではあり得ない空間表現です。「なりきり」を支えた日本の空間表現 西洋のパースペクティブは、描き手の視点(下図、黒い人型)を原点として,扇状の空間が絵に描かれています(注1)。絵の中に登場人物(下図、赤い人型)がいる場合,その人物になりきって考えると,見えている風景が変わります。肖像画であれば、絵を見ている人が見えることになります(注2)。一方、大和絵において視点という概念は弱く,空間の把握はパースペクティブとは大きく異なります。日本画に描かれている人が,その人のからの画像を描いても、ほとんどかわらないでしょう。 こんな空間把握が行われていたというと,そんな馬鹿なことがあるかといわれるかもしれませんが、パースペクティブもまた同じくらい不自然です。人の目の焦点は極めて狭く,極めて浅い。実際の人間の目は本来,写真やモナリザの絵のように,全部のディテールが一度にはっきりと見えたりしないのです。人間はタイムラインの中で目のフォーカスを急激に動かしています。狭くて浅いフォーカスの範囲を、脳で合成して、パースペクティブの絵のように見えているだけです。 つまり人間は目という貧弱なカメラで何枚も何枚も連続して自分の周囲を撮影し、そうして得られた大量の絵を一定の法則を使って脳内で合成し,パースペクティブの空間として理解しているのです。 さて,昔の日本人は,大和絵のように世界が見えていた(認識されていた)と仮定しましょう(注3)。そして今、大和絵の中に登場人物が出てきたとします。登場人物になりきったとき,パースペクティブと異なり、見えている風景はまったく変わりません。絵を見ながら絵の中の登場人物になっても、そのまま絵を見続けることができるのです(注4)。 ドラゴンクエストでは,キャラクターになりきってプレイします。主人公になりきっているから、経験値が増えるととても嬉しい。そして,主人公になりきっても絵が破綻しないのが、ドラゴンクエストの空間表現です。ゲームというインタラクティブで主人公を操作するというコンテンツと、先人が永年構築していった美術表現が、非常に相性が良く、その美術表現を無意識のうちに引き継いでいたから、多くの世界的ヒットを出せたのではないかと考えています。 西洋のパースペクティブでは、先に解説したように、絵の登場人物にはなりきれません。その結果、手だけ、ハンドルだけ、飛行機のコクピットだけ、といった表現になります。画面の中に「こちらを向いた主人公」を出してして、主人公になりきると、見える風景が変わってしまいます。 日本の美術表現が、ゲーム産業ときわめて相性がよかった、もっと正確に言うと、ゲーム産業では、日本の美術表現の強みを活かすことができていたときに、日本はゲーム産業で世界的なリードができたのかもしれないと、と考えています。 今後、いろいろな産業が生まれてきたときに、その産業と、自分達の文化との相性が良いとき、文化の強みが活かされたとき、その産業は世界で勝ち残る力を保持できるのではないだろうか?そんな風に考えています。

Featured on 4Gamer.net, Sep, 2011

日本人不用透視法來畫風景。 9月8日主題演講『信息化社會,國際互聯網,數字藝術,日本文化』報導

 2011年9月8日CEDEC 2011第三天,主題演講來自“超級技術團體Teamlab”的董事長豬子壽之先生,『信息化社會,國際互聯網,數字藝術,日本文化』。 提起藝術這個詞本身,有些讓人捉摸不透,但本次演講絲毫不空洞並且引人入勝。下面便是當時的情景。關於Teamlab Teamlab是這樣一個團體,它由一群技術專家聚合在一起,從事創作以及在創作過程中探索新發現。這么說可能還不清楚,會場上便首先介紹了Teamlab的作品。 最先登場的是“『傳統』新春特別公演『龍與牡丹』—劍舞/影畫—”。這是一部把寬幅數字技術應用到舞美上的作品。“劍客(實際表演者)與影子交戰於舞台之上”,大家都被這樣的介紹所吸引,來者絡繹不絕。[youtube_video]ZmlkmVoPuQA[/youtube_video] 『傳統』新春特別公演『龍與牡丹』—劍舞/影畫— 另一個作品是“互動型衣架”。由於Teamlab從事大量電商網站業務,為了提高銷售額他們開發出這種擺放在實體店舖裡的數字廣告牌。它構造簡單,人們只要把掛了衣服(商品)的衣架拿在手中,屏幕上便會出現衣服穿在身上的樣子。據稱,這是把“電商網站購買服裝時顯示試穿效果”的經驗反映在真實世界裡的一個新嘗試。[youtube_video]vLlwLjQWYu4[/youtube_video]團體實驗室吊衣架 互動型衣架有趣的地方在於,它使用簡單,如同在CD碟片店裡用查詢機一樣,不需要什么新操作。“新行為對顧客的素養提出了一定要求。而新行為卻不一定帶來新價值,我們期望能在現有的行為中添加新價值”,出於此理念,互動型衣架便誕生了。來自於超級瑪麗的啟發“享受行為本身” 豬子很注重“行為”。他受“超級瑪麗”啟發,又經茶道而確信了行為本身的特征。這背後還有更深層次的含義。 “超級瑪麗作為游戲來說怎么都好,而打游戲行為本身就很有樂趣。也就是說,不是為了什么目的而去行動,我們消費的是行為本身”豬子說道,經過對茶道的調查他更加確信了這種想法。 豬子先生曾偶然讀到一本約一百年前關於茶的書,其中記述了英國茶,中國茶還有日本茶。“英國茶和中國茶都明確提到怎樣沏茶才可口,然而關於日本茶,作者卻寫道『很不一般的是,日本茶似乎忘記了沏茶的目的是享受喝茶。』” 豬子先生認為,日本茶道注重“沏茶方式的格調”,“與外界溝通”,“更高的精神世界”,普通人認為應該沏完茶之後馬上喝掉,而日本人認為把茶杯先轉一圈再喝更有美感。他說“這就是摒棄了本來的具體目的,而樂在消費行為其中的做法。這就是日本的文化”。接口互聯網 持消費行為這個觀點的豬子先生,認為信息化社會中,“曾佔據主要地位的商品和空間,現在都變成了連接網絡的接口”,對於自己的互動型衣架,他說“我只是把衣架看作一個接口而已”。 關於把行為當作其他目的的連接口,豬子先生反復做了很多實驗,這裡介紹另一個例子,Teamlab開發的『Teamlab之球』。[youtube_video]UHjaJ5UFLhQ[/youtube_video] 團體實驗室的大球 Teamlab之球由漂浮的大球構成,內置傳感器和光源。一碰球就會變顏色並發出聲音。各個球之間也會互相作用,使得觀眾如同踏入交互式音像世界。 這個嘗試,使得原本是欣賞音樂家在舞台上演奏的觀眾,也恍惚間自己成為了主角的場景。數字技術的特殊性 信息化社會裡也有別的變化。豬子先生認為與此變化相關,“在已經實現語言化的領域裡,共享速度非常快,信息已不再是確立競爭優勢的條件了”。 以前技術有國界之分。“比如說發展中國家和發達國家的冶鐵技術就存在差異”豬子語。 然而,數字技術卻可瞬間共享。因此,發達國家光靠它無法保持優勢。大家可以想象一下近幾年風靡一時的社交游戲,瞬間便湧現出大量的“克隆品”來。 極端來說,數字技術完全是程序寫成,一旦整體復制,即可獲得與真品完全一樣的東西。 豬子先生說,從別的意思上來說,數字技術與以前的產物完全不同。 “迄今為止的技術背後都是自然科學。自然科學研究的是物理世界的現象,再將其中的客觀共性抽象出來。比如說汽車,時速100公裡,100馬力,這都屬於客觀表述。”比如說人見人愛的坦克,裝甲的厚度,全體長,全體高等數據都是用來標記最終成品的。 然而,數字技術卻從一開始就和物理世界沒關系。“數字技術是人類主觀行動集體引發的現象,把『現在正在發生的事情』抽出來,應用到技術中去”的東西。判斷一個網頁有多好,往往通過瀏覽次數,鏈接數,停留時間,登錄用戶數等等,這與前面“坦克裝甲的厚度”的數值意思完全不一樣——網頁並不是通過頁面容量大小來判斷優劣的。 “因此最終歸結要到人的主觀思維。谷歌的頁面排名反應的是『現在的狀況』。重排列之後,很多時候人們都會主觀上覺得『方便』了。”發達國家的優勢是文化 基於分析這種信息化社會的前提,我們提問到,日本該以哪種產業為基礎去競爭呢? “日本有科技立國之說,靠科技力量建立優勢地位”。日本汽車曾經風靡全球,在世界舞台上傲視群雄。但按照豬子的說法,信息化社會中這種差別已經消失。那么靠什么怎么樣才能確立優勢呢? 對於這個問題,豬子給出的回答是“發達國家的優勢在於文化”。 “特別是文化依賴度高,語言無法描述的領域——比如說『酷,可愛,喜歡,有趣』等,發達國家有優勢”。 例如,iPhone剛出現時,比iPhone好的手機不是沒有。可現在卻是iPhone引領世界潮流,這並不是由於它的性能參數(前例的坦克裝甲厚度)比其他的要好。 當然自然而然就會有文化依賴度高的領域不太容易滲透到其他文化圈去的這種問題。 關於這點,豬子說“世界上人大體都是差不多的。比起受眾的差別,施眾的差別影響更大”。也就是說,從受眾的角度來看,文化即便有差異,但“好東西總歸是好的”。而從施眾的角度看,文化的差別則嚴重影響到底能做出多好的東西。 豬子接著說,“文化依賴度高的領域容易產生差異,會直接影響到競爭力。也就是說,在文化依賴度高的領域裡能用技術重構的產業,是發達國家唯一可以涉足的產業”。日本文化再分析 低調的Teamlab對於探究自己的文化抱有強烈的興趣。 “解析文化,是我們自創業以來一直堅持的。這包括文化背後的東西,即,如何理解世界,世上有哪些思想,如何擁有美的意識,以及與其他國家的差別等。”豬子眾人為了明晰這一切,開始了藝術作品的創作。 豬子繼續說,“早在西方文明到來之前,日本人就對理解世界有著濃厚的興趣”,放眼過去日本人作的畫便可得知。他問時常自問,“比如說,日本畫是平面的,把實際親眼所見的世界原封不動的畫出來豈不是更好?” 經常會有人評論日本畫,說因為日本沒有透視法因此畫成了平面圖。實際上,日本人是在用日本畫的視角去看待空間。如同現代人看到照片,即可感受到空間一樣。 是不是日本畫與西方透視法理論構造不一樣?抱著這種疑問,Teamlab制作了多幅作品,下面一一介紹。百年海圖卷 『百年海圖卷』是2009年的作品,全長25米,整幅作品是視頻在工字型的牆壁上流淌。下圖是台北展出時的視頻。[youtube_video]pDKzdS9Alfw[/youtube_video] 百年海圖卷 該作品假設“日本畫采用的是與透視法不一樣的理論構造創作出來的”,先在電腦上作出空間,然後按照一定的邏輯作出日本畫。 豬子先生說“日本畫有很多與透視法不同的優點”,他舉例道“日本畫沒有焦點,因此觀眾無需站在指定位置”。比如,看電影時電影院最中間的位置最好,離得越遠越差。然而“沒有焦點的日本畫不受觀眾位置所左右,觀眾可以自由來回走動”。 其次,視頻投影面不一定得是平面。百年海圖卷中有90度直角彎曲,現場看下來完全沒有問題。大家把它想象成畫在屏風上的日本畫,就很容易理解了。 當然也有缺點,日本畫缺少客觀物理性質上的宏觀表現信息。花與屍 接下來是2008年的作品『花與屍』。這也是用三維模型重現日本畫。[youtube_video]oSmbOhHtSjs[/youtube_video] 花與屍 通常的美術作品,總會在作品空間內設定一個視點。然而『花與屍』卻在由CG制作的空間內設了12個視點。 在盧浮宮展出時,把不同的視點與擺放在實體空間內的顯示器位置一一對應。將這12個視點重現在實際空間裡。 一般來說,12個視點全在一個空間時,顯示器上播出來的圖像往往是一模一樣的。12個人同時在播放器上播放第一人稱射擊游戲的動畫,雖然會有很多不同畫面,但其中不乏及其相似的畫面。 用日本畫的邏輯去解析空間,從12個視點看出去的畫都是完全獨立的。不知不覺,觀眾便可移步換景。生命是生命力的展現 這是2011年的最新作品。在立體空間內書寫生命力的是“生”字的書法,通過動畫展現出生命誕生的模樣。[youtube_video]jFTFVBb_K0A[/youtube_video] 生命是生命力的展現 該作品也是把日本畫投影到三維空間,其靜止圖像就跟看平面日本畫一樣。視頻一動起來,平面日本畫就變身為立體的了。 豬子先生以此為據,推測說“透視法傳到日本之前,日本人是從立體角度來看待日本畫的”。層次的空間表現 『生命是生命力的展現』中,視點與目標(三維空間裡書寫的『生』字)相當近。與之不同的花與屍則是寬廣的空間。二者都基於同樣的理論,但花與屍使用了層次表現手法。 看過實際的『花與屍』的人,常常會發出感慨“用了這么多層次,不嫌復雜么”。而豬子先生本人在冷靜的重新分析之後,決定還是用多層次的表現方法。 豬子先生考量的是,“日本式的空間認識是立體的看近距離的物體,要想把握全體空間,必須得把空間分層次來看”。“正是因為日本人把空間分層來看,因此反過來設計空間時,也應當按層次來設計”。 豬子先生用寺廟庭園舉例說明如何用層次來表現空間。幾乎所有的日本庭園都是按層次來設計的。而西方則采用透視法來設計庭院,從某個視點看過去及其漂亮。 西方人用透視法來看待空間,設計時也遵照此法,以向內裡移動作為前提。 日本人把空間看作不同的層次,因此空間設計也分層。這種分層的設計,使得橫向走動觀賞風景時也能保持美感——也就是說,豬子先生下結論道,“人們對空間認識的不同,直接反映到了設計中。”超級瑪麗和勇者斗惡龍式日本畫 在分層表現的空間裡,橫向移動餘地比較大,這也體現在游戲中。比如超級瑪麗就是用的分層背景。 “這應該是日本傳統的空間美被無意識繼承下來的結果。也就是說,日本人自然而然的采用橫向設計其實就是分層設計,用很少的要素勾勒出空間的做法,其實是下意識的行為”。 另外,洛中洛外圖那樣的大和繪所采用的理論構造和美術表現,也和『勇者斗惡龍』的畫面美術表現如出一轍。豬子先生推測說,不同的是,大和繪從物體側面去描畫,是為了和卷軸方向保持一致。『勇者斗惡龍』沒有從側面去描畫,可能是因為左右兩邊都要求能滾動。 超級瑪麗的舞台選擇地圖和大和繪用的是完全相同的理論構造。與地面平行的橋和垂直的梯子,實際上是是同樣的物體表現,“這種空間表現在大和繪中稀松平常,而在西洋畫法中卻很罕見”。支持“角色視角”的日本獨有的空間表現 西方的透視法從畫者的視點出發勾畫一個扇形空間。如果畫中有人物登場,以該人物的第一視角出發,看到的風景也不盡相同(肖像畫能看到看畫的人)。 想象一下第一人稱射擊游戲『KillCam』就很容易理解了。射擊者自身和被擊的對手看到的畫面完全不同。  大和繪裡不強調視點的概念,空間把握與透視法相差迥異(請看下圖)。日本畫裡的人物,即使是從不同人的視點去看,也幾乎都一樣。 豬子先生事先聲明“這樣把握空間的做法可能會被人詬病”,同時指出透視法也有類似的不自然的問題。 “人眼的焦點極其狹窄。但是無論圖片在眼前還是在遠處,卻都能看得清楚”。實際上人眼就跟照片或蒙娜麗莎的畫一樣,天生就不能一次性看盡全部細節。 “人在短時間內眼睛焦點頻動,通過大腦合成焦點所在的那個狹小范圍的圖像。不過是類似於透視法的成像啦”。也就是說,人眼像一台低級照相機不停的把周圍的圖像攝下來,大量的圖片經由一定的法則在大腦內合成圖像,由此去理解透視空間。 以前的日本人認為,空間全體是要均等把握才能看世界。從而出現了大和繪中的那些人物。 “與透視法不同,以畫中人物的視角來看大和繪,即使變換了角度風景也幾乎不變,這樣就可以連續的看下去”——有些難懂,參照豬子先生提供的游戲畫面就不難理解了。 “勇者斗惡龍是角色扮演游戲。一邊玩一邊增長經驗。而在角色扮演之時,使得畫面保持不變的就是游戲的空間表現了”。確實如此,從角色的視角去看這個游戲畫面是沒有變化的。 “勇者斗惡龍這種二維游戲在全世界取得了勝利,正是因為先人將日本獨特的美術表現無意識繼承下來的結果。” 前面也說過,采用西方的透視法無法切換畫中人物的視角,結果是“只能通過手,或操縱桿,或飛機員座艙來操控表現”,也即第一人稱射擊游戲的表現形式。畫面中角色面向不同方向看到的風景也不一樣。 “日本的美術表現與游戲產業相輔相成,因此日本的游戲產業才能盛行全球。而電影則適合以第一人稱為視點中心的西方美術表現形式。因此日本的導演再怎么努力,也無法超越西方電影作品”。豬子先生提出了如是假說。 “今後還會有更多的產業誕生。能發揮我們自己文化優勢的產業可以在世上幸存下去。我們清楚的知道由游戲和漫畫培育而成的日本文化優勢在何方。加強意識,發揮優勢,我們就能做出走向世界的產品”,豬子先生說道。 “日本的優勢和西方的優勢不一樣,三維表現是透視法,可能西方在三維游戲上的優勢更大些。所以最近游戲產業形勢不太好。但,無論如何,我們都要努力!”豬子先生以此作為結束語完成了演講。提問解答最後還有些提問時間,簡單介紹如下。提問: 關於日本畫的表現形式,西方人的意見如何,他們能不能理解?豬子: 人都是差不多的。能力也差別不大。受先人和周圍環境影響,累積至今才有了這么多差異。創造力只不過是在這重重積累上加了些“錦上添花”的東西。 我是在家庭游戲機和漫畫的陪伴下長大的,所以會有這樣的美術表現意識。日本的美術表現手法多種多樣,並且都是在不知不覺中演變的,受此潛移默化才成就了今天的我。 說到『美』有多種多樣,西方認為有通過透視法觀看到的美,還有不平衡美。 日本人更認同平衡美。西方庭園都是左右對稱,而在日本禪寺庭園裡,岩石假山都是不對稱分布的。但大家也認同這樣的美。即使是完全對稱的Kitty貓的臉,大家也覺得非常可愛。 這種美的背後是文化的積累。用這種方式創作出作品,即使是沒有同樣文化積累的人也能引起共鳴。比如會覺得禪寺美啦,kitty貓可愛啦。 同理,日本人雖然在平衡美的環境中長大,但是也會稱贊凡爾賽宮的美。 人對美的認識空間很廣,文化就是在這廣闊空間裡由奇異點積蓄而成。日本人可以創作出kitty貓或者小悟空的發型,那都是平衡美的積累。所以,作為設計者,即便我覺得凡爾賽宮美,我也沒法做出可以和西方人匹敵的不對稱美的作品。對於這個問題,我的回答是,我是不會去問外國人想法的。提問: 人類個體物理差異並不大。但為什么文化差異如此之大呢?為什么日本和其他國家不一樣?豬子: 透視法也好,大和繪也好,都是大腦內的合成圖。人腦感知空間更像是軟件功能。為什么有差異很難說。 但是,西方認為人敵不過自然,人是被自然支配的對象。兩千年前,地球表面70%都被森林所覆蓋。歐洲幾乎全是森林。可現在英國的森林覆蓋率才8%,多的地方也才20%多。日本卻能一直保持70%的覆蓋率,非常了不起。這是因為日本人一直把人看作自然的一份子。 想與自然共存,而森林中混亂無序,透視法沒機會發揮作用。事實上,即使把照片拿給叢林居民看,他們也看不懂。 另一方面,我們生活中隨處可見人造物體,比如筆直的大路上間隔5米排列的街燈,生活在這種環境下很容易就能理解透視法。這可以解釋對自然的理解不同產生了不同文化的現象。作者:德岡正肇

Featured on STUDIO VOICE , Jul, 2012

ヴェネツィア・ビエンナーレ出展作品「生命は生命の力で生きている」について  猪子寿之(チームラボ)インタビュー

内容は、第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ関連企画展「FUTURE PASS」出展作『生命は生命の力で生きている』に関するもの。チームラボがアートギャラリーと関わったこと、書のモチーフを扱ったこと、日本の伝統的モチーフをデジタルで再現したことの経緯など、普段あまり語られないアート論を猪子は語り、「(アートの付加価値は)究極に言うと、未来へのヒントだったり、新しい価値の提案だったり、表現の提案だったり。未来の付加価値のヒントだったり、新しいマーケットのヒント」とコメント。「「チームラボ好きだから日本が好き」って思わせるのが目標」「僕らもそういう日本の産業に貢献するような存在になりたいって思うんです」という発言で記事は締めくくられています。

Featured on SHOTENKENCHIKU, May 1, 2011

給電子通信衣架船戴上透明的袋子

2010年11月下旬,六本木建築群中期間限定舉辦的“Reebok Cafe”。和咖啡一起展示空間,給衣架掛上透明的袋子的本社的鞋子采用了電子通信技術。白色的牆壁上筆直的晾衣架,各種樣式的鞋子從中取出一只,分別裝在透明的袋子裡。把鞋子從晾衣架上取下時,牆壁上的掛式液晶屏幕上就會呈現顧客手中所對應的商品的動畫。進行設計的是從品牌、市場到藝術、娛樂,在多元化市場中活躍的團體實驗室。該公司已經將鏈接動畫的定制衣架命名為“團體實驗室吊衣架”,被多家服裝品牌公司采用。從晾衣架上取下商品的時候,掛載晾衣架上的掛鉤因拉力回到原位,衣架內部的開關啟動。該系統是通過設置在衣架上的回路作用發射信號,商店內的屏幕上就會呈現商品的圖片。 “亮相的是拿到手中商品,商品說明和細節說明的圖像被呈現在屏幕。在此之前的,通過人體模特或是熟知自己公司的商品的店員進行銷售,但是這個系統即使發送商品信息且不用在乎使用空間。”團體實驗室的工藤岳先生又說道:“而且,通過網絡獲得記錄,顧客在何時看的商品,從拿到手上看到賣出商品所花時間等等,過去未能獲得的市場信息都可以得到。”這次的陳列品使得團體實驗室的衣架得到發展。和以前一樣將鞋子放在架上展示,但卻采用了將鞋子放在透明袋子裡掛在衣架上新構想。透明袋的制作是委托自創服飾、帽子的nukeme(ヌケメ)先生。從樣品制做到縫制,生產全由他包辦。“盡可能地使用最簡約的形狀且具有透明感,使鞋子可以完美呈現”結合這個要求,做出各種各樣地樣品考慮。等比模型配上塑料透明的聚酯縫紉機線縫合,並將其掛著衣架上做了測試。結果證明波士頓包的形狀,縫合用圓的線。透明的生地收口處盡可能的減少紋路。把縫口處降到最低提高其透明度。固定到衣架上,上面開口,如掛衣服一樣用按鈕固定。如此,共25個透明袋的衣架被制作完成,從事室內設計的河田將吾先生說:“孕育出了獨特的漂浮感。”還有“像壁面陳列一樣沖擊眼球”從河田先生的話中,液晶陳列也裝上了木質框架,設置在牆壁上意圖也做了突出的設計。

Featured on SHOTENKENCHIKU, Jan 1, 2011

商空間的WEB化的時代、高漲顧客的“情緒”的方法是關鍵

位於日本東京都文京區、東大本鄉校區附近的高地的大樓。有著活力洋溢的員工近200人。工程師、程序師、設計師等精英匯集在這,標榜這“ultra-technologists集團”的“團體實驗室”的辦公室。代表著具有同世代的輿論領袖,豬子壽之先生。以“日本再生”為成立目的,另類於其他的風險企業的存在。讓空間轉變為媒體化的設想團體實驗室,除IT的專家從事的各事業之外,還活躍在數碼藝術領域。2008年巴黎裝飾美術館舉辦的日法交流150周年,“感性 kansei Japan Design Exhibition”的展示裝飾藝術,在世界這個大舞台上,他們一舉成名,倍受矚目。豬子先生回顧著說道:“以來自日本的產業呈現給世界為項目主題,讓世界體會最具日本的思想和審美意識的簡約設計風格。”為此,他們的想法就是整個展台以12台高2.7m的LED屏幕、12個頻道的聲頻音響和12個獨立動畫放映為設計手法。[youtube_video]oSmbOhHtSjs[/youtube_video][youtube_video]Fa29BOvX-ZQ[/youtube_video]上映的動畫作品是獨創作品“花與屍”。以日本平安時代的畫卷、並利用電腦3D技術設計後,將其平面化後構成其舞台設計。將其切取成12個視點呈現。狙擊點不是想要以和風為襯,而是想讓人們將其想象為日本畫是它動畫做成的標的。豬子先生闡述道:“因為想讓世人知道過去的日本人是如何看待世界的。”不使用西洋的遠近法,多視點是日本古來的空間表現是“這種空間表現和商空間應該很般配才對”他接著說道:“20世紀的動畫是在電影院或是電視前坐著,只有1個視點可看。但是,整個空間用動畫完美呈現演出,沒有固定的視點,是表現出最具日本特色的最好方式。這樣便能在其中自由漫步。”[youtube_video]pDKzdS9Alfw[/youtube_video]就如,KONICA MINOLTA PLAZA 在2010年橫濱的APEC會場上映的全長為23m的動畫作品“百年海圖卷”。跨越100年海面上升起的日本文字“コ”的投影動畫,明明沒有采用什么特效展現,卻讓人有種沉浸其中的感覺。沒有邊際的動畫,讓人目不暇接,簡直就像屏風畫,把空間當作媒體,將其運用在展示唯一的世界觀或故事的時候,是最有效的呈現整個場景的展現手法。“神出鬼沒”的信息技術豬子先生和團體實驗室的軸心成員,他們的學生時代正值90年代後半信息革命開始的世代。2001年創業,WEB的世界中長久置身於的經驗使他產生了 “為什么不將空間單純地作為物質來進行設計呢?”的疑問。把空間當作媒體,用動畫等信息將其完成,引導他們的有此猜想的可能是豬子先生的一句,“單純的只有信息量的話很糗。”就連在線商店也涉足的他們,是怎樣理解的“商業空間”的呢?“從用戶的購買履歷篩選商品的的方法,或大量的商品一次呈現的方法等,從在線商店的側面來看,與其相比,其發展遠勝於實體店舖。若使用像WEB和店舖一樣,共通的平台的話會是怎樣。像WEB一樣,在空間上也能上演信息,不是嗎?[youtube_video]vLlwLjQWYu4[/youtube_video]起初,他們在《TOKYO DESIGNERS WEEK2010》 服裝品牌“earth music & ecology”的展台中展示的“團體實驗室衣架””。當顧客拿起衣架看的時候,裝有感知器和連動,立刻商品的情報和與搭配人物照片,成像於顧客身邊的屏幕中。“將日常生活展現到界面上的這種猜想為契機。想要找到從商業空間通向信息空間的交點,為了這一新動向,學習是必要的也變得更難了。也不僅僅是如此,想靠拿衣架是為了看衣服的自然動作來呈現它。使用搭配成形的照片,不僅僅是商品照片對比那么簡單,銷售額簡直是天壤之別,這是從事在線商店的經驗中得到的啟迪。”另一個展示的是設置在店外的“數字櫥窗系統”。和團體實驗室的衣架的連動,能夠利用從顧客那裡獲取信息記錄是它的特征。比如,在店內拿在手上看的次數最多的商品的畫像,每5分鐘以排名的方式表示在屏幕上。不必用POS 做銷售記錄或銷售分析,以顧客的行動履歷以最真實的方式提供給他人。這個也是從WEB的方法論中得到的啟示。WEB和商品一樣空間的進化團體實驗室根據某個時點的動畫制作出的藝術作品,活用某個時點的技術進行不同商務業務。乍看之下,可能會認為他們沒有共同點,但是豬子先生解釋道:“我們所涉足的業務是表現和系統,八桿子打不到一起的東西。但是,在不久的將來,他們將會合二為一。現在只是一個過渡期而已。”“數碼媒體有著顧客看到的表面、裡面則鏈接著系統的特性。我們在WEB的世界中,兩者都已涉足。至今,感覺的表面和技術的內部是各自獨立的物理性個體。汽車的話是工程師設計引擎,設計師設計造型。但是手機,比如像iPhone一樣的點觸式屏幕,從哪裡到哪裡是程序,從哪裡到哪裡是設計、粗看分不清它們的界限。和WEB一樣,產品的表現和系統也變得不可分離。我認為在將來的某一天,空間也會如此。”豬子先生說道。但不只是信息空間,即便是現實的世界,表面的設計和內在的系統將成為一體。在那樣的時代,商業空間所具有的可能性又將會是什么呢?“特地來到店裡的人是為了獲得只有在商店才能得到的“體感”。那是電子虛擬商店是沒有的,是很厲害的心理安慰。網絡無法實現的合理性,但我們要做的還是高漲顧客的情緒。不管是設計還是相互作用還是傳說,我認為方法論就是要配合著條件和狀況選擇就可以。”豬子先生闡述道。

Featured on BRUTUS, Aug 1, 2010

ショッピングの未来を変える、チームラボのハンガーって?

「服のデザインの背景にある物語や素材の蘊蓄をコーディネートとともに伝えれば、商品情報はさらに増え、売り上げや集客が期待できる。マネキンではなく壁を使えば小さな店での表現力も格段にアップ。服(ハンガー)を手にしたが買わなかった、などのユニークな統計も取れる。そして何より、街でのショッピングが今まで以上の圧倒的な”体験”になる」「実店舗だからこそ、サーチやクリックといった自らの”意思”とは無関係に、ハンガーを手に取るような”なにげない行為”の中で大量の情報を伝えられる。(中略)将来、リアルに濃密な体験をもたらしてくれるはずだ」と紹介して頂きました。

Featured on Toyokezai, April 16, 2010

豬子壽之團體實驗室社長——“凶暴的男人”!“酷日本”

讓我們眼前一亮的,是出來迎接我們的公關部員工,他留著一根帥氣的辮子如同電影《阿凡達》中的納美人一樣。據稱,他曾在瑞典一家游戲雜志擔當主編。瑞典語馬馬虎虎(本人是日本人),在那裡工作了三年半之後,於兩個月前加入團體實驗室。什么?這個公司居然讓才兩個月的新員工做公關!稍後登場的便是主人公豬子壽之先生,是個眼睛如納美族戰士般炯炯有神的近1米9高的大個子。我還在浮想聯翩,“你午飯吃了么?”“當然。”“邊吃邊說可以么?” “請隨意。”他打開從便利店買來的便當,不由而然的一股“溫和的”氣場便發散開來,瞬間讓我如釋重負。挑戰谷歌的產經“iza”的革命用全球知名諮詢公司韜睿惠悅(Towers Watson,前Watson Wyatt和Towers Perrin合並而成)的日本總經理淡輪敬三的話來說,豬子是個變態。淡輪先生主導著一個青年創業者學習沙龍——變態匯。只有變態才能成才,這是大會名號的由來。豬子是由初始會員之一的若林龍成(beBit副總裁,京都大學講師)引薦而來,“我帶來了個不簡單的變態”,他介紹說。豬子和團體實驗室絕非尋常。其業績之一,即為2006年開發的挑戰谷歌的檢索引擎Sagool。由於谷歌在當時早已確立了絕對優勢,日本做檢索引擎的開發公司已消失殆盡。但檢索引擎乃文字信息化社會的引擎。“現在就如同汽車產業在國內盛行之際,內燃機沒有市場的情況。這樣的國家豈不危險?我們無論如何得做點兒什么。我們就是白虎隊。”因此,公司想開發一個原創的產品出來。微軟和雅虎的引擎都受了谷歌的影響,根據鏈接數多少來排序。“全世界都充斥著單一的價值觀,我感覺很不好。如果能有個不一樣的算法該多好啊。”Sagool便是給有趣的,有創意的東西提高排名的一個搜索引擎。這樣的話,Sagool能應用於商業上么?“完全不行”。只要能為國家保留一些檢索引擎的技術我就滿足了。所以說我們是白虎隊啊。其二,產經新聞報紙的資訊門戶博客“iza”。這可是大熱。當時商談的時候,豬子就很直率的說,“我覺得現如今報紙的有些形式正在走向終點。” “那就交給你辦了。”產經方面便直接委任給了豬子。2006年1月,豬子擔任從數字業務部門分離出來的產經數字業務的董事。豬子對於精英主義持否定觀點。一般來說,新聞報紙由記者精英和少數編輯者制作。然而,“信息化社會中只有集體智慧才能取得壓倒性的勝利。信息化社會已經如此多樣化了,不應當去追隨少數精英。”iza是史上第一個讓報紙與讀者雙向互動的新模式。讀者對文章的評述可以共享給所有的記者(以前評述都是客服管轄的范疇),讀者也可以寫文章。記者對讀者所寫文章的回復,也統統不予刪減。時任產經數碼的社長阿部雅美當時深感不安。“無事先審查的記者博客這種形式,如果成行的話是很不錯,但在當時絕對是革命性的觀點。豬子先生很稀松平常的便做出了這個提案。我也竭盡全力說服了公司。”瞬間iza便成了全國最熱門的門戶博客。產經數碼的阿部雅美也榮獲2006年的“年度網絡才俊”稱號。其三則為在盧浮宮主廳中展出的數碼媒體藝術作品“花與屍”,由團體實驗室為2008年日法交流150周年活動所制作。隨著電腦制作的視頻在12個模仿卷軸豎直擺放的顯示器上播放出來,整個大廳宛若日本平安朝代“死與再生”的畫卷空間再現。法國世界報對其大加贊賞,當時正好在巴黎訪問的韜睿惠悅諮詢公司的淡輪先生也被親眼所見之實物而折服。“豬子是天才。他的想法說不定可謂之世界頂級。”同時,也打心底裡擔心,“天才持才傲物,不如藏之於世。讓他嶄露頭角不知是福還是禍。”毫無章法的“構造” 暑假的自由研究對於自己哪點傑出這個問題,豬子說,“說實話,我幾乎不關心什么事業啦,公司運作啦什么的。”聽著謙虛,其實並非如此。根據豬子的觀點,工商管理也好,各種各樣的策略論也好,全都是在社會實現信息化之前提出的概念。也就是說,已經快到保質期結束了。為什么呢?社會信息化之前,為了銷售,商家把商品推銷給消費者以及大型店舖陳列商品都是最首要的任務。因此,企業精修市場戰略,利用大眾媒體開展大規模促銷活動。而如今隨著網絡的興起都發生了變化。“現在誰都能從網上瞬間獲得信息。誰做得出酷產品誰就是勝者。如果東西超酷,那么很容易就能流行起來。”不用電通無需麥肯錫,銷售人員和小白領也不需要了。“幹部們都沒有價值了,因為跟經營戰略毫無關系。”唯一重要的是做出超酷的東西來。這樣一來,信息技術和創新力(文化創造性),即有動手能力的專門人才就極為重要了。“酷酷的東西不都是細節集合起來的么,幹部和戰略什么的都是大空話,成不了細節的。”銷售額20億日元200人的團體實驗室公司雖然收支平衡,但是既沒有營銷人員,也沒有銷售計劃或者利潤規劃,幹部會議也聞所未聞。

Featured on NIKKEI DESIGN, Apr, 2010

會談任天堂遊戲機的設計任天堂的遊戲是日本文化的合法後繼者 阪井直樹×豬子壽之

在家庭用的電視機游戲的行業裡面,索尼和微軟都選擇了和高品質戰略劃清界限,使用身體的界面獲取成功的任天堂。為什么,任天堂采取了和游戲界劃清界限的戰略呢?在網站上又開發了個人界面,豐田汽車個三得利等等,在自己的網站上,聚集高人氣的團隊實驗室的豬子壽之總裁和來自京都的阪井直樹先生逼進了任天堂設計實力的秘密。 阪井: 關於任天堂游戲機的設計,豬子先生是怎樣想的?豬子: 我覺得很酷。阪井: 在一般情況下,索尼的PLAYSTATION3和PSP、微軟XBOX等的設計時尚而酷、而我覺得任天堂的WII和DS的設計有不文雅的傾向,並非是這種情況吧?豬子: 首先,游戲的圖像畫面就出奇的酷。例如,超級任天堂最初的游戲超級馬裡奧裡面,如森林已被繪制在背景層移動到一邊,不僅圖片很棒,還和日本庭園是類似的設計。阪井: 也有像歌舞伎的舞台美術的設計吧。豬子: 不過我比較喜歡“超級馬裡奧世界”的地圖屏幕,沿著地圖,配備了梯子橋,從橋上面看地面是描繪著的狀態,從梯子的側面看也是描繪著的。從地面上看的畫和從側面看的畫應該是被合成起來的。用戶觀看了圖片後,橋和梯子都被公認了。在世界首位的合成經驗的人都知道。同樣的事情,馬裡奧地圖屏幕也應該被開展,這個屏幕,對於人類來說,我覺得是自然的表現,只是,對於那些學到西方設計和藝術的人們來說,可能會不相容。阪井: 從美畢業的是很難理解任天堂游戲屏幕的優點的。豬子: 這是日本傳統繪畫的表現,大和繪畫也是,從上面看的景色和從側面看的是緊閉相連的。從上面所理解的東西是從上面看到的描繪的狀態,從側面理解的東西也應該是從側面看到的描繪的狀態。馬裡奧地的地圖屏幕和大和繪畫都有相同的空間表現,我認為任天堂是日本文化的合法繼承人。稍微轉化一下話題,為什么你知道要畫水墨畫呢?極簡主義被解釋過了,可還是感覺不同。首先,水墨畫專業的畫家是基本沒有的。日本正在描繪的畫,可分為大和畫和水墨畫,也就是說,正在選擇手工的技術。對於手工來說,要描繪目標的生命感的時候選擇水墨畫,當繪制世界的時候,選擇大和畫。用水墨畫描繪不出省略的東西,因為在那裡就感覺不到生命的意義,所以不能描繪。因為墨是單色的油墨,所以像天然氣這些能源符合用單一顏色的墨水繪制。萬物都有生命能源,在日本人的思想的背景裡,自然和人類的融為一體的,任天堂也繼承著這個思想,任天堂是感受到了生命的真諦,在森林裡跳舞。阪井: 像百鬼夜行,八百萬神一樣啊!豬子: 是那樣,這應該就是日本繼承著的本質。 使用提高人們緊張的顏色豬子: 不是使用了很多顏色來做標題之內的游戲的嗎“超級馬裡奧銀河”也閃閃發光,像很多星在飛行,一看這樣的景象,人們自然會開心、興奮,那些是任天堂以外的游戲廠商,以做出真實為目的,故而采取了朴素的顏色。既然那些是游戲業界的傾向的話,那任天堂就決定不問世俗,做自己想做的事。這也是自己的價值光。受西洋文化的影響,也對使用花哨的顏色敬而遠之,在西方國家,感情和欲望是不被肯定的,自己壓抑著。如果感情和欲望一被肯定的話就會被認為是和動物一樣。因為這些想法,根據上下文的正在發生的設計來說,任天堂的設計是跌落的。阪井: 任天堂的WII很受歡迎的理由是通過遙控器體驗到了界面,關於這個設計,你是怎樣想的?豬子: 從以前開始任天堂游戲的操作得心應手,超級視頻游戲的瑪麗中由於B沖刺感覺很好,孩子們大家為了取樂都玩了B沖刺,盡管B沖刺的得分不是很。由於瑪麗強大的氣勢,玩沖刺的感覺非常好。超級瑪麗也是如此。雖然一旦進入桃子公主的城堡的建築物,游戲就開始,但是由於操作非常有趣,大家在沒有進入建築物在城堡的庭院游玩一個小時。其他的游戲是為了得分等結果而競爭,而任天堂的游戲不是以結果為目的,而是為了操作設計的。身體運動的舒適與洗澡的舒服是一樣的。這種舒適就是通過擴展技術而實現的遠程控制。阪井: 車子也是這樣的,最初駕駛的良好感覺。好比坐沒用的車子。把那個叫做駕駛盤。另外,駕駛汽車的舒適是汽車制造商在汽車賣不出去的想法一樣,小型貨車和大車的室內舒適度和使用順手與否而一比高低。這樣一來,如果追求操作的舒適,變成什么都不是汽車,這或許會成為偏離消費者追求的汽車的一個原因。豬子: 但是,舒適度存在很難用語言去定義,也無法理論地去描述的困難。只能說如果去做就知道了。在尋求理論說明的今天,商業也逐漸重視理論。因此,無法開發Wii這樣的產品。直到現在,把自然科學作為技術的對象時物理的技術的基礎。自然科學是客觀地捕捉事物,尋找具有的普遍性,但是,技術的對象是變成了數字。對象變成數字就是什么呢,就是把人類作為對象。自然科學是從自然開始最終又回到自然。例如,把自己的現象普遍化創造出蒸汽機,最終就是活塞運動。引擎等精確客觀的測量時速,可是,數字技術和自然是分開的,因此無法客觀的測量。換句話說,由於對象從最初開始的人類最終要回歸到人類,評價的中心具有主觀的感覺。這樣的變革在現代已經開始了。阪井: 舒適與否成為好萊塢電影的評判標准。豬子: 內容是這樣的。不管是電影還是音樂,內容的世界從剛開始就是這樣的。主觀基本上有趣、感覺良好這樣的評價。依靠數字的技術與自然科學以及分離。技術也會逐漸主觀,換言之,被評價為有趣、舒服。任天堂在這個領域引領時代。阪井: 美國苹果公司的iPhone成為寵兒亦是如此,把照片放大,能直接接觸內容。緒方吉人設計工程師的孩子雖然只有1歲半,但是可以熟練地使用iPhone。 由於非常的有意思,所以能夠操作。在上市之前,很多專家說很難銷售。iPhone成為寵兒的原因是到目前不能接觸的內容能直接體驗接觸所帶來的舒適感。豬子: 的確。 最新的瑪麗是(新瑪麗兄弟Wii)為了水平不一的很多人們玩同一個游戲獲得快樂而開發出來的。運用與過去的競爭或團隊作戰完全不一樣的方法,從玩游戲中獲取樂趣。這就是解決方案。解決了以前的游戲中,和水平不同的人無法一起玩游戲的問題。我認為在現在的任天堂實現這些技術是我們經營團隊存在的理由。 經營團隊的體制是肝髒阪井: 任天堂山內先生在2002年辭任社長,岩田先生擔任社長。豬子: 通過編程擅長於軟件的岩田先生,硬件工程師竹田先生,還有發明家宮本先生,三個人的體制。三個人都能制作新東西。通過理解感覺不錯,有意思的但無法理論說明的東西,邊做邊思考。在開發Wii的時候,要制作三四十個控制器,並且要開發符合每一個的游戲,然後進行大量的測試。結果聽說是開發了Wii遙控器和Wii運動。阪井: 和山中先生的Suica是一樣的。接觸Suica的最佳角度沒有理論指導。結果就是嘗試各個角度最終決定為13度。豬子: 我認為任天堂邊動手邊思考的[能夠思考的藍領]成為頂尖的事情是很巨大的。山內先生了不起的地方就是在退任社長時,在非常重視MBA的時代,沒有成為MBA那樣的人才,而是選擇了編程。具有MBA的人無法接受無法理論說明的東西,因為能夠理解發明家的人有點不好。阪井: 盡量任天堂如果開發手機有意思,能推出什么東西非常感興趣。但是絕對不會做那些東西。我和豬子先生一起在2007年au設計項目中,發表了根據手機界面的使用方法而變化的原型。豬子: 把界面比作街道,如果打很多工作的電話,街道就成了辦公街道,如果和朋友打很多電話,就成為南國的旅游勝地。如果女朋友發來愛情短信,街道就成了愛情聖地。如果積累大量無法接通的來電,好像恐怖分子破壞了街道。這個原型中要做的東西是已有的手機樣式中對用戶來說無關緊要的優化。想表達手機的界面就是成為選擇軟件的時代。阪井: 任天堂的課堂就是活用界面。豬子: 是吧。但是還無法有效活用界面。現在的競爭不是游戲機或者Xbox,而是iPhone.。可以說是針對日本所有的制造業。硬件的時代已經結束,軟件的時代已經到來。在日本商業中沒注意到這一點的人很多,還是認為制造業就是制造產品。決定勝負的是內在的產品的外形。制作包含網絡的模式已經只是附加值了。索尼的隨身聽敗給了iPod, 就是硬件時代結束的象征。阪井: 索尼在吸引顧客的構思不足。豬子: 接下來的制造業將是軟件,或者界面的設計。探索如何設計包含互聯網的結構。美國的城市經濟學者理查德弗洛裡德的著作《創造階層的世紀》中強調了同樣的東西,我認為如果作為創造者能動手能思考的藍領們不成為領跑者,日本的制造業就很危險。